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肥前陶磁器あれこれ~

オールド香蘭社、オールド深川、古伊万里、平戸焼などを集めています。

 

ニッポンを応援する ~亀山焼・染付枇杷形皿~ 

祝!金メダル!

内村選手、男子体操個人総合優勝おめでとう~!

開会前まで、リオは一体ど~なるの~?と心配していましたが
フタを開ければ、なんとかちゃんとオリンピックになっている不思議。

しかも、ドーピングが(やっと)問題視されたため
今大会は薬物なしのクリーンな大会ですね。
薬物抜きの大会となると、メダルの分配もかなり公平(?)になった感あり。
突如メダルラッシュの日本!
このまま頑張ってほしいですね~!♪(/・ω・)/ ♪

さてオリンピックと言えば、娘の通うスイミングクラブは
オリンピック選手を輩出したそうで、当然みんな毎日オリンピックを
観ながらチーム・アメリカ(笑)を応援しているそうです。
我が家でも水泳を観戦していますが、なんとウチの娘は
アメリカ人の応援はそっちのけで毎日「ニッポンがんばれ~!!!」と
なぜかチーム・ジャパンを一生懸命応援しておりますヾ(・∀・)ノ

アメリカに住んでいても、アメリカと日本、両者激突となると
やっぱり日本を応援するのね・・・。

その昔、フランス人の指導教授に、フランス人のアイデンティティというのは、
フランスという土地に生まれ育っているということに起因するが、、
なぜ日本人やドイツ人はその土地でなく血統に起因するのか、と訊ねられました。
まぁ、その時はあれこれと歴史的、文化的、そして宗教的背景を論じたもの
でしたが、日本人であることの定義づけというものが
日本の風土だけでなく、その血統に基づくのは非常に興味深いですね。

片親が日本人でない場合、自分では日本人と思っていても
日本にやってくると外国人扱いされたり、日本に住んでいてすら
他者として扱われるのは、よく聞く話です。

日系アメリカ人と話していると、「僕も(←!)日本人ですよ」などと言われ
つい日本人の私としては、「うう~む・・・」と思ったりするのですが、
オリンピックで日本を一生懸命応援している我が家のチビ達を見ていると
「ああ~、あの人たちも小さいころからアメリカよりも日本を応援して
いたのかもなぁ・・・」と思ったりしました。

よくよく考えてみると、そもそも「自分は何者か?」という
問いの答えは、所詮他人でなく自分が決めるものであり
最終的には主体性(agency)の問題だと思うわけであります。

日本を愛し、応援しているのは日本に住む
日本人だけではないんですねぇ。
個人的にはありがたいことだと思います。

グローバリゼーションの反動で
どこの国でも偏狭な国家主義に偏っている今日この頃ですが
日本もアメリカも寛容なナショナリズムを目指してほしいものですね。

ともあれ、みんなでニッポンを応援するのだ~!
頑張れ!ニッポン!\(^o^)/\(^o^)/

さて内村選手は実は長崎の出身であります。

里帰りするたびに、私とダンナは長崎の諏訪町界隈をブラブラするのが
好きなんですが、諏訪町のニューヨーク堂(昭和なネーミング)は
甘党・内村選手の御用達(!)なのだそうです。
ここはいろいろと有名なお菓子がありますが、
長崎のローカル色があふれた枇杷アイスというのが
おすすめです。

枇杷というのは、もとは中国原産だそうで、
早くから中国人が住み着き国際都市であった長崎らしい
果物ではないかと思います。

内村選手にちなむわけではありませんが、
今日は件の染付枇杷形皿を紹介しましょう。

biwa 1

幕末・明治の頃のものだと思われます。
なかなか丁寧なつくりです。

ちゃんと枇杷の葉に虫食いがあったり・・・

biwa 3

枇杷の実と葉。

陽刻です。

biwa 2

まぁ、取り立てて騒ぐような皿ではありませんが
私的には、ちょっと興味深い皿なのです。

みなさんの中にもしかして、「あれ?この皿見たことあるよ」と
思った方がおられるかもしれません。
そういう方はかなりの肥前磁器オタクでしょう(笑)

実は嬉野の名匠、冨永源六窯の作品にこれと全く同じもの
(ただし枇杷に色がついています)があるのです。
皿の形や大きさ、デザイン、そして虫食いあとやそれぞれの枇杷の
大小までほぼ同じものです。

(源六窯、枇杷 皿でイメージを検索してみてください)

biwa 4

冨永源六は明治・大正時代に活躍した名陶で、有田ではなく
ひとつ山を越えた隣町である嬉野に窯を開きました。

明治に花開いた肥前磁器の窯の中でも、とりわけ高級感のある
質の高い作品を造り、名前そのものがブランド化した良窯でした。

嬉野というのは歴史ある温泉街ですが、有明海から荷揚げする港がある
塩田のすぐそばであり、昔はここからかの天草陶石が運ばれたそうです。

そのような地の利を鑑みると、嬉野の源六窯が有田の窯よりも
抜きん出て良いものを作ったのも納得です。

源六窯の作品を見ていつも思うのは、ここの作品の中には
(1)限りなく有田の名窯・香蘭社・深川製磁の作品に近いものが存在すること
(2)幕末の(輸出)亀山や平戸を思わせる作品があること、です。

(1)はなんとなくわかりますが、(2)についてはどうなのでしょう。

実はこの皿、銘が彫ってあります。

biwa 5

銘は、印刻で亀と記してあります。

九陶の銘款集にもある通り、亀山焼の銘は非常にたくさんあります。
この亀という刻印は残念ながら銘款集には掲載されてはいませんが、
同じく九陶の炭鉱王・高取氏のコレクションの本に掲載されている
亀山焼の猿の置物の裏に、この「亀」の刻印があるようです。

有田・三川内・鍋島(大川内)・嬉野・塩田などの窯の物には
亀のついた銘はありませんので、印刻「亀」は亀山であろうと推測できます。

ただ、以前にも書いたとおり、幕末の亀山は経営がかなり傾いており
全盛期の頃のように花呉須を使ったり、高級磁器を造ってはいなかったようで
かなり質が劣る雑器を数多く作っていたようです。ネットオークションでみられる
亀山はほとんどがこの類です。

長崎で呼ばれる「亀山焼を真似た有田焼」である「アリガメ」というのは
本当のところは、おそらく「有田を真似た質の悪い亀山焼」だったのでは
ないかと思います。この皿もそんな落ち目の亀山の作った雑器の一つだったのでしょう。

biwa 6

さて、嬉野の名陶・源六窯がどのように亀山焼とかかわっているのかは
謎ですが、この皿を見る限り無関係ではなさそうですね。
亀山焼は明治初期にはすでに無くなっていたのですが
窯が消えたからといって、陶工達が消えてしまうわけでは
ありません。
亀山焼を作った陶工は九州のあちこちに流れた、という話があり
これまで聞いた話だけでも、有田、平佐(鹿児島)、
大分(明治以降、大分の美術工芸に貢献した田能村竹田との関係です)、
そして福岡の須惠などに流れたということを聞いたことがあります。

19世紀(江戸、幕末)の欧州輸出品の染付の多くは有田の他に
嬉野の近くである塩田で作られる焼物と亀山焼であったと
書いているのは、かのソーム・ジェニンスですが、
このような記述を考慮しても、塩田の隣町である嬉野の窯が
亀山焼となんらかの関わりがあってもそうおかしくはありません。

こんなことを言うのも、実はこれ以外にもう一つ、
亀山焼と源六窯を結ぶ点があるのですが、
こちらはまた改めて、その疑惑(?)の器の紹介でもしながら
推理してみたいと思います。

biwa 7

それにしても、落ち目であっても亀山は亀山!
かの冨永源六が模してしまうような
抗いがたい魅力がある焼物です。
枇杷形皿というのも、なんとなく異国情緒があるように
思えますね。

ああ。。。また枇杷アイスを思い出してしまいました・・・

まぁ、とにもかくにも頑張れ、ニッポン。

枇杷アイスはないけれど、枇杷のお菓子を
いただきながら、遠い国から子供達と一緒に日本を応援したいと思います。

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Category: 亀山?

tb 0 : cm 8   

Comments

源六製について。

有田の商社、三兄堂(現・丸兄堂)は、明治〜大正に、三兄堂ブランドのトトトの陶磁器を焼てもらってます。日本全国の料亭に卸すためです。初代・源六は、ヨーロッパやアメリカの博覧会で銀賞などもらいました。ですから、亀山車中が、輸出用に自社ブランドの製品を作って貰ったのかもわかりませんね。推理、楽しいですね。ヤフオクで花兎さんが三兄堂をよく出品されます。

旦那さん #tbP3RbY6 | URL | 2017/01/23 07:07 [edit]

旦那さん様、

貴重なコメント、ありがとうございます。
源六窯は三兄堂からも注文を受けていたんですね!知りませんでした。
花兎さんの出品されている皿を見ましたが
なるほど銘だけでなく源六窯ならではの
上品な絵付けですね。
有田が亀山焼(輸出品)にかなり関わっていたのは容易に想像がつきますが、嬉野や平戸になんらかの関わりがあったようです。亀山の全貌、
気になりますね!またのコメント、お待ちしています。

Michnoski #- | URL | 2017/01/23 14:59 [edit]

Only the administrator may view.

Only the administrator may read this comment.

# |  | 2017/01/24 05:40 [edit]

大変貴重な情報をありがとうございました。
そうだったんですね!教えて頂いた情報を
よくよく考えてみると、いろいろと納得がいきました。
ところで、実は幕末・明治初期の有田のもので富永という銘の入った杯洗を所蔵しているのですが、有田にで富永銘を入れた窯があったということを聞かれたことはありましたでしょうか?もしご存じでしたら教えてください。

Michnoski #- | URL | 2017/01/24 22:12 [edit]

多分。

多分、源六製です。
源六製に銘が落ち着くまで、銘の変遷がありました。
また、ネットの写真で、【富永製】の源六製で有名な、釉下彩 牡丹文 皿 2枚を検索した事あります。今度日記で、銘、文の写真を見せていただけたら、判断できると思います。本物なら、かなり貴重です。

写真の参考アドレス貼り付けますね。

http://home.h00.itscom.net/shiokawa/porcelain_gallery.htm

ところで旦那さん #tbP3RbY6 | URL | 2017/01/25 06:31 [edit]

そうですか~。実は以前ある学芸員の方に
見てもらったのですが、やはり富永というと
源六窯ではないか、というご意見をいただきました。ただ、杯洗そのものは、いわゆる写真にあるような、いかにも上手の源六製という感じではなく、普通の幕末有田の「乾」銘でもついていそうな染付で軍鶏が描かれています。軍鶏というモチーフもちょっと変わっていますね。有田というよりも、むしろ亀山的かな、と思いました。

次回のブログは卵殻手の紹介を予定しておりますが、その次にでもぜひこの杯洗を紹介したいと思います。旦那さん様のご意見をぜひお聞かせくださいね。

Michnoski #- | URL | 2017/01/25 11:01 [edit]

デザインでも判断できます。

こちらの、ビワの陽刻染付皿の、裏の唐草のデザイン、櫛高台のデザインでも源六製とわかります。
同じデザインをたくさん持ってますからね。
佐賀市に鍋島徴古館という博物館があります。11月の佐嘉神社の骨董市の帰り道、隣の徴古館に寄りました。鍋島藩主の陶磁器展があっていて、気になったのは2点。松唐草文の日常的に殿様が使っていた御膳茶碗セットと、染付牡丹文 壺でしたか、デザインが源六製でした。勿論 銘はありません。
実は、松唐草文の小鉢を持っているのですが、松の形を鍋島の家紋に置き換えたデザインでした。染付牡丹文の壺も釉下彩牡丹文のデザインと同じでした。
ただ、学芸員は、伊万里市大川内山 産と書いていました。学芸員には、もっと勉強してほしいですね。

徴古館ホームページ

http://www.nabeshima.or.jp/main/

ところで旦那さん #tbP3RbY6 | URL | 2017/01/26 06:57 [edit]

そうなんですよね。他のブログを見ても
源六製と書いてあるのに、鍋島藩窯で作られたと
説明がされたりしていて、「?」と思います。
源六窯の作品は確かに技術が高いので
そのように勘違いされたのでしょうか。
疑問が残ります。

懐古館は今回行きそびれました。佐賀城本丸まで
行ったのに、です・・・
次回ぜひ懐古館の鍋島コレクションも見てみたいですね。

Michnoski #- | URL | 2017/01/26 22:21 [edit]

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