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肥前陶磁器あれこれ~

オールド香蘭社、オールド深川、古伊万里、平戸焼などを集めています。

 

推理する楽しみ (青磁・蝦蟇仙人香炉) 

素性のわからないものについては、できるだけ書きたくない・・・

だって、骨董を素性もわからないのに購入するなんて
成金趣味みたいでちょっとイタイではないですか・・?
それに素性のわからないものにお金をつかうなんて馬鹿げています。
そんなに無駄なお金とかないし・・・(´・Д・)」

でも・・・

素性がわかるものばっかりを集めるのは
これまたコレクターとしてはおもしろくありません。
骨董集めの楽しさって、変なものを買って、
「これはなんぞや?」とあれこれ考えるのが
楽しいわけだから。

骨董なんて、所詮は自己満足の域を出ないわけだしね、と
開き直りつつ、今日はちょっと素性の知れない変わったものを
紹介しましょう。

珍しい青磁の蝦蟇仙人の香炉です。

sage 1

青磁というと、有名どころでは鍋島、京焼などでしょうか。
置物・細工ものではありませんが、有田も青磁ものは
江戸中期から幕末の輸出ものまで造っておりました。

九谷、三田など他にも青磁をつくった窯はいくつもありますが、
これだけ精巧な細工物を作ったとなると、どこで造られたかという
疑問についてはかなり絞られてくると思います。

まずは頭部横面から。

ご覧ください、この出来栄え。
首の部分に窯割れがありますが、
大した細工です。
これだけ精巧に造られた青磁の置物は
めったにないと思います。

sage 3

さて、青磁の置物というと京焼がまず思い浮かぶ方もいらっしゃると思います。
青磁の大家、宮永東山ですね。

鍋島以外で、これだけの青磁の置物を造れるとなると
まず東山、そして同じく京焼の伝統を受け継ぐ横浜の
宮川香山でしょうか。

東山の青磁の置物は有名ですが、
精巧さという面からみると、この蝦蟇仙人とは
比較になりません。

青磁の置物というのは、
釉を全体にかけた場合、釉薬のせいで顔の細工がぼんやりするため
通常は顔や手など精巧さを強調したい部分は素焼き、
そして衣類などが青磁となります。

東山などの京焼は、この素焼きの部分の
細工が、土の性質のためか、それほど精巧ではありません。
同じ理由で、明治の天才・宮川香山の物も同様、
かの有名な鍾馗の置物をみても、顔の細工の精巧さが
イマイチなんですねぇ。

東山については、おそらくは技術の問題、
香山については、土の性質によるものだと推察されます。
素焼きの部分が赤いのも、土の性質でしょう。

sage 2

土のせいで精巧に造れないんだったら、最初から
比較にならないとつっこまれそうですが、
この作品の気になるところは、その造形の確かさです。

蝦蟇をかかげる仙人の顔、美術品のような
出来栄えだとおもいませんか?

顔に刻まれた深い皺、
髪の毛や眉毛も一本一本彫られています。
口の開け具合、歯の一本一本まで
精巧に造られています。

sage 4

正面。
この表情、圧倒されます。


sage 5

全体像。
横面から。

sage 6

後姿。

sage 7

青磁の置物ということに捉われると、この作品の出自が全く
わからなくなります。

でも、よく見るとこんなディテールが・・・

sage 8

蝦蟇仙人の袖の部分をわざわざ開けています。

sage 9

そして、この開いた口も内側は空洞になっています。

sage 10

ただの置物だと思っていたら、実は
内側は空洞、そして袖と口から空気が抜けるように細工してあります。

sage 11

そして、像の内側の空洞にもわざわざ釉薬がかかっていて、
「あ、香炉だったんだ!」と解かった訳であります。

さてここまで来ると、思いつくのは当然平戸焼ですね。

古唐津、古平戸には、寒山拾得像や蝦蟇仙人・鯉仙人などの細工物や香炉があります。
古平戸の場合、その多くは青磁でなく飴釉です。

まぁ、こんなにダラダラと書かなくても、肥前陶磁に詳しい方なら普通
パッと見て、「これ、平戸でしょ?」とわかると思います。
これだけ精巧な細工物、造形の確かさ、一見置物かと思いきや
実は香炉になっている、というひねりの効いたつくり。
正直、鍋島か平戸くらいしか作れません。

青磁の置物風の香炉なんていうものは、文化レベルの相当高い
土地柄でないとなかなか出てきません。
今日の平戸は田舎ですが、もとは山鹿流が栄えた文化都市だったわけです。
独自の茶道流派(鎮信流)などを育てた松浦藩は
書道具や茶道具の凝ったものを平戸焼の御用窯に
いくつも作らせました。

やきもののレベルの高さは、その窯を育てた藩の文化レベルの高さに
当然比例します。
需要がなければ、供給もないからです。

各都市の文化レベルというのは、恒久的なものではなく、
また単純な持続性をもとに捉えられるものではありません。
むしろある特定の時期に、経済的、政治的、財政的な要素が文化的要素と複雑に
絡み合って起こる現象によって引き起こされ、生まれる一時的なものだと思います。
一時性が継続してあたかも恒久的なものに見えることがあったとしても、ね( ̄^ ̄)ゞ

まぁ、そう考えると、文化レベルが常に高そうに見えるというだけで
京都のやきものか?などと考えるのはあまり賢いとは言えませぬ・・・(。>ω<。)ノ

閑話休題。

いよいよ結論ですが・・・

ではこれが平戸なのかというと、どうもそうでもなさそうです。

この置物、もうひとつひねりがあったんです。
なんと銘が入っていました。

sage 12

銘の二文字、読めますでしょうか?
一つは「亀」。
これははっきりとわかりますね。

sage 13

もう一つの文字を判読するのにちょっと時間がかかりました。

いろいろ調べてやっとのこと、この漢字どうやら「埔」ということまで
わかりました。

でもこの漢字、常用漢字ではないんですよね。

sage 14

ある日のことですが、突然 「Eureka!!!」と叫んでしまいました。

そうだったのか!!!

「埔」は繁体字だったことに(やっと)気づきました。
つまり、「埔」は「浦」だったわけです。

亀山焼の窯があったのは、長崎市伊良林。
今も瓊浦高校という学校があるとおり、昔ここは
瓊浦(けいほ)と呼ばれていました。

亀埔→亀山瓊浦か、あるいは亀山大浦(小曾根一族のすむ大浦)だと推察されます。

亀山焼というと、一般的に「文人趣味」を反映したやきものと言われますが、
実際の亀山焼の全体像はそれよりももっと複雑だったようです。
記録によると、亀山焼は天竜寺青磁に似た作品ををつくったこともあったそうです。
また、案外知られていませんが、亀山焼は平戸焼と非常によく似た作風の置物も
造っていました。
高取氏寄贈の猿の置物や大黒の置物など、普通に考えると平戸焼だと思うものばかりですが
実際は長崎の亀山焼きでした。

亀山焼が廃窯したのは慶応元年のことですが、その後も小曾根一族によって
亀山焼は「小曾根焼」と名前を変えて、暫く継続して造られました。
この小曾根焼にも、もちろん平戸焼に非常によく似た置物系の作品があります。

この作品、銘が亀浦となっているところからも、亀山焼そのものではなく、
たぶん亀山焼の伝統を受け継いで造られたものではないかと思います。
イギリス人から購入。輸出品、あるいは贈答品だったのでしょう。

ちなみに、亀山焼が平戸に影響を受けているのは当然のこと。
日本陶磁器史論によると、亀山焼の創生は出島からの平戸焼や
有田焼の輸出による貿易利を羨み、始まった事業だと書かれてあります。
まぁ、長崎商人が貿易で利を貪る平戸や鍋島藩を指をくわえて見ていたはずもありません。

sage 15

購入してからほぼ一年が過ぎましたが、
その間あれこれ思いを巡らせ、ようやくブログで紹介することにしました。

亀山焼の系譜についての考察、おもしろいですね。
まだまだわからないことだらけの亀山焼です( ̄^ ̄)ゞ

あ~、サントリー文化財団、研究費だしてくれないかなぁ・・・・
亀山焼、幕末の文化経済記号として研究・分析しまっせ・・・・

(^∇^)ノ なんつって・・



「お前の推論、まちがっとるんじゃぁ~」という方、
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