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肥前陶磁器あれこれ~

オールド香蘭社、オールド深川、古伊万里、平戸焼などを集めています。

 

丸山慕情? 古平戸焼 色絵 婦人童子像 

もう九月も半ばですね。

9月1日のレイバーディが終わる前に、意地でも前回予告した平戸焼の珍品(?)をアップするべく
ブログを開けてみたのですが、やっぱりすぐ更新は無理でした。

なにせすでに大学の授業が始まっておりますので
毎日仕事と家事に追われて、なにがなんだかわからないまま
日々を過ごしている次第です。
ブログのアップの時間はとてもとれません・・・・

ううう・・・・

今学期は特に授業数が多いので、その準備ですでに息切れしております。

大丈夫なのかな、こんなんで・・・。

まぁいいや。

こちらが、色絵の平戸焼、婦人童子像です。

hirado figure 1

平戸焼のコレクターなら目をむくはず(?)の珍品です。

なぜ、これが珍品なのかといいますと、平戸焼は伊万里(有田・鍋島)とは違い
基本的に色絵が少ないのです。

もちろん平戸焼に色がついたものがまったくないわけではありません。
以前紹介した栄螺の蓋物のように、黄土釉や瑠璃釉で色をつけたものは多くあります。
(この辺りが、平戸焼の色物は色が悪い、といわれる所以です。)

hirado figure 2

基本的に、平戸焼は染付中心です。
これは、天草陶土を使って白磁にこだわったため、あえて色をつけず染付にして
その白さを引き立たせるためだったからです。

もう一つ考えられる理由は、松浦藩はその地の利で、
鎖国の時代でも、中国の青花の上物を所有していただけでなく
それを手本に上質の作品を造っていたため、自然質の高さや高度な技術が
顕著に現われる染付を好んでいたからではないかと思われます。

このような理由から、鍋島藩のものとは異なり
明治時代以前で、平戸焼で色絵(エナメル)のものはほとんど見かけません。

明治時代には、以前紹介した色絵冠形香炉のようなものが、有田と三川内の共同で造られました。
しかし、この像のように平戸で色(エナメル)がつけられた細工物は
きわめて珍しいと思います。

hirado figure 3

さて、この平戸焼の婦人童子像ですが、一体いつごろ造られたものなのでしょう。

平戸焼の本によると、過去に皇族への献上品として、18世紀後半から19世紀前半頃
天皇と皇后の像が作られた例があります。
尤も、これは天皇・皇后像ではなく、おそらく雛人形なんだと思いますが・・・

hirado figure 4

では、こちらの像も同じ時代に造られたものなのでしょうか?

我が家では意見が二つに分かれました。

相方は、最初はこれは雛人形と同じように19世紀前半に造られた、
輸出用の人形だと思っていました。

ですが、私は、この人形の造形の特徴から言って、
もう少し後の幕末・明治頃ではないかと思っています。
というのも、以前紹介した平戸焼の人魚ののし押さえと顔の造形が
よく似ているように思えるからです。

hirado figure 5

いかがでしょう?
側面から見た顔の造形の確かさは、たしかに有田・伊万里系とは
一線を画します。

19世紀初期から、平戸・松浦藩は平戸焼物産会所という貿易会社を設立し
長崎から海外へと輸出しました。

貿易先は、主にオランダとイギリス。

ちなみにオランダのVOC(東インド会社)と長崎との貿易は
18世紀に入ってからは、幕府からの規制もあり
限られたものとなります。18世紀後半に、フランス革命の余波で
オランダは衰退し始め、同時にVOCも解散へと追い込まれます。
その後、東南アジアの利権はイギリスへと渡り、
伊万里の輸出先もイギリスへと移るわけです。
19世紀初期から質の高い古伊万里がイギリスで
見つかるのは、このような理由からでしょう。

興味深いのは、VOCが撤退した後も、個々のオランダ人貿易商が
長崎から磁器の輸入をしていました。
平戸藩も18世紀にはいると、長崎奉行所に打診し
出島経由で平戸焼を輸出しはじめます。
その元締めが、平戸焼物物産会所でした。

以前お見せした卵殻手の蓋碗のように、チャイナに並ぶ質を誇った
Hiradoを数多くヨーロッパに輸出し、その名声は欧州全土に聞こえることとなりました。
このような事情から、現在のオランダでは、元禄期くらいまでのVOCに発注された古伊万里
および19世紀中期くらいまでの平戸の細工物や卵殻手がよく出てきます。

hirado figure 6

ちなみに、これは余談ですが、かのSoame Jenynsによると、
18世紀長崎からオランダへ輸出された
肥前陶磁器のほとんどは、実は有田でも平戸でもなく
亀山だったのだそうです。
出島の利権を独占したかった長崎奉行所からしてみると
平戸や有田よりも、亀山を優先して輸出したのは
当然のことでしょう。

先に何度か長崎で亀山焼についていろんな方に話を伺ったのですが
亀山焼の輸出市場については、みなさん殆どご存じないようでした。
まぁ、輸出された亀山(日本の美術館で見る文人趣味ではなく、チャイナの近い絵付け)を
見たことがなければ、亀山焼が外貨を稼ぐために奨励されたものだと
信じることは難しいことでしょう。

それにしても、Soame Jenynsのこの記述を長崎の骨董やさんが知れば
どれほど驚くことでしょうね。

hirado figure 7

そのSoame Jenynsによると、19世紀後半になると、出島での磁器の輸出先は
イギリスが中心になるのだそうです。
オランダの東南アジアでの植民地支配も落日を迎えつつあったころですので
この記述にも問題はないでしょう。

この人形の出所はオランダですので、幕末かまたは
開国後の1870年以降のものではないかと思います。
王政復古、明治維新となり、平戸藩も旧体制が大きく変わったことで
相当あわてたことでしょう。
慌てて輸出産業に力を入れますが、有田などから
大きく差をつけられてしまいます。

hirado figure 8

この人形の時代云々はさておき、
改めて人形そのものを見てみましょう。

それにしても、これは果たして母子像なのでしょうか??

みなさんにはどう見えますか?

私にはどうしても母と娘には見えないんですよねぇ。


hirado figure 9

母子というよりもむしろ置屋のおっかつぁまと島原か五島か天草あたりから
売られてきた女の子?

あれ?
ペコロスの母に会いにゆくを先日見たから
ちょっとバイアスがはいっているみたいです・・・・

hirado figure 10

でもなぁ・・・・

hirado figure 12

なんだかなぁ・・・

hirado figure 13

ちなみに長崎の丸山遊郭は、実は吉原、島原と並ぶ日本三大遊郭の一つでした。
丸山の遊女は、唐人や西洋人の酒席にも出たといいますので
江戸の鎖国の時代でも、彼女達はなかなかの国際派だったのでしょうね。

文学でも、丸山遊郭はしばしば取り上げられます。
遠藤周作の女の一生あたりが有名でしょうか?

明治時代のキリシタン弾圧である浦上四番崩れで
捕らえられたキリスト教信者の恋人を、なんとか救おうとし
丸山遊郭に身を落とす主人公キクの物語ですね。

よけいなお世話ですが、大友監督はアクション時代劇ばっかり撮らずに
蒼井優ちゃんあたりをつかって、こういう純文学の映画を
撮ってくれないかなぁ・・・・・

hirado figure 14

さて、この人形でしたね・・・

hirado figure 15

親子に見えない理由ですが、
この奥さんが持ってるキセルとタバコ入れが
どうしても気になるんですよね~。

これって幕末とか明治時代の一般の婦人の風俗の一種と
考えてよいのでしょうか?

hirado figure 16

裏には、平戸製 三川内 と書いてあります。
通常は、三川内とだけ書かれていれば1820年以降だということ
ですが、平戸 三川内製だと時代が明治初期・中期くらいに
ぐっとあがるようです。

ただ、あくまで私の意見ですが、これと同じ銘の入った
(そして筆跡の良く似た)卵殻手の、
形はチャイナ風、そして絵付けは美人画の蓋碗が
オランダのディーラーによって売られているのを見かけたことがありました。

1860年後半のものと私は思うのですが、
みなさん、いかがでしょう? 

hirado figure 17

いずれにしても珍品であることに間違いはありません。

いくらだったかって?
日本円にして4千円くらいでした。
というのも、オランダ人のディーラーはてっきりこれが
チャイニーズだと思ったからなんです。

価値をしらないディーラーばっかりだと、この世はどんなに楽しいことでしょう・・・

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Category: 平戸焼

tb 0 : cm 4   

Comments

Michnoskiさま、おひさしぶりです。
ブログはずっと見てましたよ、転勤・授業・家事等で忙しい様子ですね。

今回の平戸焼、初見です、「エー、これは何」と言う感覚です。
私が見た感想は「伊万里の柿右衛門人形」だと、とっさに思いました。
「銘」の「平戸 製 三川内」にも違和感があるように感じますが・・・。

「中国伊万里」に「柿右衛門人形」が多数あるそうです、後で「平戸製」の
「銘」を書き加えたような印象を受けますが・・・。
ただ、私が「中国伊万里」に過剰反応しているだけかもしれません。
Michnoskiさまが言われるように幕末・明治の本歌なら珍品だと私も
思います。

今度、帰国時に専門家の意見を聞いて私にも教えてください。

kahohira #- | URL | 2014/09/14 01:50 [edit]

Kahohira様

お久しぶりですv-14
アップがなかなかできなくて、ブログを覗いてくださる方には
本当に申し訳なく思っていました・・・

私も貴ブログ、拝見していましたよ。最近はミツバチの記事が多いですが
ミツバチの生態と集団行動、興味深いですね。

さてこの平戸焼ですが、伊万里の柿右衛門を一線を隠すのは
まず顔の造形の違いだと思います。
柿右衛門は、こちらの美術館(メトロポリタン)にも
いくつもありますが、顔の造形がこの平戸とは全く違います。
柿右衛門の婦人像の場合は、基本的に顔が元禄美人風の細面ですよね。
男性の像も同様です。中国産の贋作伊万里も、これにならって作っていますので
顔が全体的に面長です。

これに比べると、幕末以降の平戸の像の顔の造形は独特です。
人魚ののしおさえや、有名な唐子が犬を抱いた水注(これもそのうちアップします)
の顔など、全体的に丸顔の田舎風の顔で、およそ伊万里の美的感覚とは
ほど遠いものです。

もう一つの違いは、柿右衛門の場合、像の多くは高さが35センチくらいあって
かなり大型ですが、こちらは15センチくらいの小さな像です。
小さいフィギュアながら、造形がきちんとしているのも平戸ならではです。

さて、色付けですが、明らかに柿右衛門風の像とは異なりますが
もう少し説明すると、輸出平戸には有田で絵が付いているものと
いないものがありまして、ブログでは”平戸(窯)”で色がついたように
書いていますが、実は長崎で絵付けされた可能性もあります。
いずれにせよ、使用しているエナメルなどは、輸出卵殻手と同じであることも
平戸だと思う理由です。

長くなりましたが、銘に関して最後に・・・・
手描きの銘の”平戸製 三川内”も輸出平戸で
たまに見かけます。
これは、エナメルや染付で銘をつける有田や
伊万里と異なりますが、この銘に対するこだわりのなさも
平戸ならではですね。v-14
長崎の骨董やさんでも、同じように銘について疑問が投げかけられた
のですが、私はこの手の銘は輸出物で見ているので
そうは思いませんでした。
ただ、亀山などもそうですが、百聞は一見にしかず・・・
Seeing is Believingとは言ったもので、輸出元であった長崎などにも
このような輸出平戸はあまり残っていないのかな、と思っています。

Kahohira様に、一つ面白い贋作平戸の情報を。
平戸の中国製はほとんどありませんが、先に得た情報では
唐子が犬を抱いた水注の贋作が数年前(去年だったかん?)
九州で出回ったそうです。あっというまに売れたのだそうですが、
平戸焼の贋作を造ったのは、なんと三川内界隈の窯だったそうですよ!
中国製の贋作は売れ筋の伊万里や鍋島をよく作りますが、
少数派の、しかしコアな平戸ファンを狙った贋作は
とある九州の骨董屋が発注して、三川内近辺で作らせたそうです。
これも納得!ですねv-14

Michnoski #- | URL | 2014/09/14 06:18 [edit]

5000円で売ってくださいw

今回も興味深く読ませて頂きました。
VOCなき後、出島より亀山焼がオランダへ輸出されていたとは初耳でした。
またイギリスへの輸出は、藩窯より民窯に移行した明治初頭に単に外貨稼ぎ?の為に開始されたと思っていたのですが元を辿ればフランス革命まで行き着くのですね。磁器は単にその物のみならず歴史的な側面から見ていくと大変面白いですね。

このフィギュアですが、銘が若干怪しげではありますが
しかし造りはしっかりしていそうだし、目もちゃんと入っていますよね。
自分もこの筆跡にそっくりな卵殻手の茶碗を見たことあります。
しかも色も花柄もこれとそっくりでした。
まさか同じ窯でしょうか。。。

Michnoski様、お忙しいようですがお体には気をつけて頑張って下さいね。
ワタクシは明日から遅い夏休みを取りまして、バンコクでトムヤム君食べてきますw





唐子くん #SFo5/nok | URL | 2014/09/18 07:14 [edit]

唐子くん様、

コメントありがとうございます。
5000円ですか?考えておきましょう(笑)

そうなんですよ。1830年代ごろからの出島からオランダへの
輸出品は亀山が主流だった、というのは、私も初耳でした。
そうは言いながらも、実は私のファースト・亀山はこの手の
輸出品でしたので、これを読んだ時は、驚くというよりも、
あ、やっぱりそうだったんだ~!という感想でした。
長崎でこの手の話をすると、学芸員の方以外は、
いや!亀山は国内向けに作られた文人画風の作品が主流です、と
おっしゃいますので、会話が弾まないのがツライところです。
まぁ、このあたりのことも、そのうちブログで・・・・

ところで、卵殻手のカップを見かけられた、というお話、
嬉しい限りです!そうなんですよね~。卵殻手のカップで
ターコイズっぽい青い色が特徴的なんですよね。
たぶん、長崎で絵付けをした平戸なんだと思いますが、
そのうち同じような銘の入った卵殻手の蓋碗を手に入れたいな、と
思っています。

では、遅い夏休みをエンジョイしてきてくださいv-14
トムヤムクンかぁ・・・・・・・いいですね。
私は週末はフォーを食べにいってこよう・・・(って国違い・・)

Michnoski #- | URL | 2014/09/18 18:31 [edit]

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