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肥前陶磁器あれこれ~

オールド香蘭社、オールド深川、古伊万里、平戸焼などを集めています。

 

輸出明治有田・色絵水注 (肥蝶山信甫・田代紋左衛門) 

いよいよ肌寒くなってきましたね。
もう11月です・・・

アメリカ東海岸の紅葉もようやく葉が落ちてきました。
この掃除がこれまた大変なんですが・・・

輸出明治でお茶を濁す第二弾は、有田の豪商・田代紋左衛門率いる田代商会の
輸出品、色絵の水注(だと思いますが)です。

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高さはおよそ22センチほど、マグカップより二回り大き目のサイズです。

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描かれているのは、松の木の周りに戯れる鳥たちと小菊に(穴はないですが)太湖石です。
中国は明と清時代に造られたエナメルの絵付けを意識しています。
パッと見たところ、チャイナのノワールやターコイズの花瓶を思い起こさせます。

samp shimpo 4

以前にも書きましたが、香蘭社の創設者である深川栄左衛門などの初期の作品にも見られるように
輸出幕末・明治の有田陶磁器にはチャイナを意識したものが多いです。
それもその筈、初期と後期の古伊万里の歴史は輸出唐物の人気のあった時期と重なるからです。
初期の伊万里が唐物を意識したように、江戸時代後期の輸出伊万里も
欧米の市場でチャイナと争わなくてはなりませんでした。
内戦や欧米列強の侵略で荒廃した清王朝ではかつてのような陶磁器を造ることが
困難になりましたが、そこへ再び日本の陶磁器がその市場に殴り込みをかけたわけですね~

samp shimpo 5

田代紋左衛門は、出島からの輸出陶磁器を一手に引き受けた久富氏の蔵春亭・三保の後を次いで
1856年輸出独占権(鑑札)を獲得し、英国を中心とした欧米に肥前陶磁器を売り込みました。

英国貿易の名目で輸出利権を独占した田代氏ですが、その後思わぬスキャンダルに見舞われます。
有田焼にブランド名をつけて輸出していた田代商会は実は他藩(平戸藩)である三川内窯にも
卵殻手やカップなどを欧米向けに造らせ、有田で赤絵をつけて肥蝶山・信甫製として海外で
売っていたのですが、これを有田の同業者に激しく糾弾され、後に失脚することになります。

しかしなぜこのようなタブーを犯したのでしょうか?

このあたりのことを理解するには少し説明が必要です。

まずは輸出商品の生産量を増やすためには優良な窯元の数の確保が必要ですが、
ここに有田特有の地の利がありました。

有田と三川内はそれぞれ違う藩に所属していますが、地理的には隣町です。
ですから、有田の田代商会が三川内に器を造らせ、それを有田に運んで絵付けをするのは
造作もないことでした。

もう一つは陶磁器における陶土の違いとその製品への影響に関する説明が必要です。
以前、蔵春亭三保のコーヒーカップでお見せしたとおり、
有田焼の陶土である泉山の陶土では欧米人が好む薄手のカップを生産するのは
江戸時代後期、非常に困難でした。
(実際この問題がクリアされたのは9代目深川栄左衛門の香蘭社とその弟深川忠次の時代になってからでした。)

比べて三川内窯が使用していたのは天草陶石と網代陶石です。
この組み合わせだと、以前紹介した平戸焼の細工物を見てもわかるように
粘土質が硬く、薄手のカップを作ることができました。

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このような理由から他藩の窯に商品を造らせ有田焼として輸出し巨利を貪っていた
田代商会でしたが、その後独占していた長崎での輸出鑑札は増やされ
深川栄左衛門率いる香蘭社などが続々と欧米へ有田焼を輸出することになり
輸出有田はチャイナだけでなく自国のブランド同士競争することになります。

この後、明治時代の輸出肥前陶磁器の華麗なる歴史が幕を開けることになります。

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この水注もファーストクラスというわけではありませんが、なかなかの品質だと思いませんか?

今日普段使いできる器でこんなに洗練された商品には一体どれくらいの値がつくことでしょう。

samp shimpo 7

絵付けも見事です。
チャイナの品質にかなり近づいています。

ご存知の方も多いと思いますが、チャイナの輸出ノワールなどは基本的にほとんど一級品です。
(中国の)官窯で腕を競った職人の作品に近い品質の物を造っていた有田の職人の
腕のよさに思わずためいきがでます。

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裏には大日本肥蝶山・信甫の銘が。

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ちなみに欧米の骨董市場では肥蝶山・信甫製はれっきとしたブランドです。
この銘がつく限り、その高い品質は保証されます。

魚形皿などに関しても、信甫製のものには結構よい値がつきます。
色絵の繊細さも他の追随をゆるしませんが、欧米人の好むオリエンタリズムを強調した
図柄は今も昔も彼らの心を大いに掴んでいます。

samp shimpo 1

幕末のものは骨董品としては若すぎますが、その歴史を紐解くと古いものとはまたちがった
味わいがあるように思います。



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Category: 古伊万里

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Comments

Michnoskiさま
こんばんは。
大日本肥蝶山・信甫造の伊万里焼、「いいですね」。
肥蝶山の蝶は虫ヘンではなく石ヘンを書くのですね。
皿山は昔から蝶が多くて別名、蝶山と呼んでいたと聞いたことがあります。
幕末から明治の伊万里焼は瀬戸物に価格的に負けて活路を海外に求めたのですね。
幕末の磁器は各地で焼かれますが価格的に瀬戸には勝てず短期間で終わります、高級品は有田焼、安物は瀬戸焼との格付けが決まったのでしょうね。
私は明治期の有田焼は所持品は少なく今いち、よく解っていません、Michnoskiさまのブログの解説はたいへん勉強になります、これからも続けてください。

kahohira #- | URL | 2013/11/07 06:05 [edit]

kahohiraさま

コメントありがとうございます。

確かに日本では輸出有田はあまり見かけませんね。
里帰り品が圧倒的に多いのは、明治の有田は輸出市場に
傾いていたからかもしれませんね。

19世紀の欧米では有田焼(イマリといいますが)はまだまだ高級品の
イメージが強かったようです。今でも名品が出てくるのは
ほとんどが旧家・名家の多い地域です。逆に成金の地域から良いものがでてくるのは20世紀に入ってからが多いようです。

佐賀藩は有田焼で外貨を相当稼いだそうです。
維新の折に鍋島藩のアームストロング砲が会津を落城させたのは
有名な話ですが、その後五稜郭で榎本武揚率いる旧幕府海軍を
打破したのは最新軍備を備えた佐賀海軍だったそうです。
興味深いことですよね~

kahohiraさまのブログの更新楽しみにしています。

Michnoski #- | URL | 2013/11/07 18:34 [edit]

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