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肥前陶磁器あれこれ~

オールド香蘭社、オールド深川、古伊万里、平戸焼などを集めています。

 

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蔵春亭三保 コーヒーカップ ~武器と古伊万里~ 

海外の骨董屋でよく見かける輸出伊万里に、幕末の蔵春亭三保の陶磁器があります。

蔵春亭を設立したのは、佐賀が生んだ稀代の豪商、久富与平。

1841年に佐賀鍋島藩より有田陶磁器の一手販売の権利を獲得し、
蔵春亭という独自の陶磁器ブランドを設立し欧米に輸出しました。
ちなみにこの屋号は小城藩の藩主鍋島直亮に賜ったものなのだそうです。

蔵春亭のものは柴田コレクションでもおなじみですね。
色絵のものが多いですが、実は三川内にも作らせています。
この三川内もの(平戸)の染付はかなりレベルが高いのですが
こちらはそう簡単には手に入りません。狙っているのですが
オークションではいつも負けっぱなしです。

しかたがないので色絵のカップを買うことにしました。
もともとはデミタスを集めて有田のデミタスカップの変遷を探ろう、と思っていました。
勝手に研究のテーマ(?)をつけているのは購入の言い訳が必要だからなんですけど・・はは

まぁそういうわけで、アメリカはジョージア州のアトランタから
出品されたカップを購入したわけです。

samp 2

初めて見たときの感想は・・・

デカッ!!!

あれ?
デミタスじゃないの?

大きいんですよ、これ。
普通のマグカップとほぼ同じサイズです。

そしてマグのように重いんです。
以前波佐見焼のマグを紹介しましたが、あれよりも
重さがあるというトンデモな代物なのです。

裏は、というと

samp 1

蔵春亭三保とブランド名が書いてありますね。

赤絵に金の羊歯そして窓絵と、幕末の伊万里・有田陶磁器の特徴が顕著に見られます。

samp 3

蔵春亭として海外へ輸出陶磁器を売ることになった久富与平ですが、当初は
並々ならぬ苦労があったと推察されます。
そもそも欧米への輸出品には輸出先の生活、文化に合ったものを用意しなければならなかった
わけですから、おそらく試行錯誤しながらコーヒーカップやソーサーを発注、製造しなければ
ならなかったことでしょう。

これより十数年後には深川栄左衛門が薄手(卵殻手ではないですが)のデミタスを
イギリスへ輸出していますので、この蔵春亭のカップは幕末欧米輸出用有田陶磁器の変遷を
考える上でも、そのスタート地点を飾るものではないかと思うわけです。

samp 4

さて、この久富与平にまつわる話ですが、この稀代の豪商はイギリス等へ
陶磁器をただ売っていただけではありません。

歴史を紐解いてみると、久富与平は長崎へ常駐しトーマスグラバーなどの
武器商人と親交が深かったそうです。

佐賀鍋島藩が幕末において最新の洋式軍備をしていたことは、
司馬遼太郎氏のアームストロング砲などの短編でもおなじみですね。
その佐賀藩が長崎港の保安を命じられ、その利を生かして長崎の武器商人より早くから
最新の大砲及びアメリカの南北戦争の終焉により使われなくなった銃器を買い付け、
藩内で装備していたのは興味深いことです。
この膨大な資金を必要とする武器の買い付けに、陶磁器を欧米に売ることで富を得た久富氏が
鍋島藩をサポートしつつ、グラバーなどと謀っていたことは想像に難くありません。

あくまで司馬遼太郎の主観ではありますが、戊辰戦争における薩長土肥の勝利と
明治維新は、この佐賀藩の最新洋式軍備なくしてはありえなかったわけです。

そう考えると、この蔵春亭のカップやソーサー、大手の花瓶など美しい陶磁器が
巡り巡って明治維新という決して無血ではなかった革命を成功させたことは
歴史と文化の妙だと言えるのではないでしょうか。

samp 5

こんなことを徒然なるままに考えたのは、きっとこのカップが日本の骨董とはあまり縁のない
南部、ジョージアのアトランタから出てきたからかもしれません。

アトランタ、といえばマーガレット・ミッチェルの名作、風と共に去りぬでおなじみですね。
久富氏がジョージアに陶磁器を売ったのかはともかく、売ったお金で南北戦争で使われた
銃器を買い付けたというのは妙な縁を感じます。

samp 6

このカップもたぶんずっとジョージアのアトランタにいたわけではないのでしょうけど・・・
そんな歴史の縁を考えるのはちょっとロマンティックな気もします。

samp 7

ご覧の通り、元の持ち主は随分このカップを愛用していたようです。
金縁がはがれかけていますし、カップの内側にはなんとコーヒーのしみが・・・
でもきっと大事に150年以上も使われたんでしょうね。

samp 8

そんなわけで、私も本日Illyでたてたコーヒーを一杯いただきたいと思います。



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コメント

こんばんは。

Michnoski さん

とってもユニークなコーヒーカップ&ソーサーですね。

カップとソーサーの大きさのバランス(インバランスさ)等からも時代を感じさせられます。
この時代のイギリス、オランダから輸入されたプリントウェアの蓋物が、
別々の既存の皿と碗のサイズの合った物を組み合わせて居た事と似た状況を
思い出させて呉れて(多分私だけの主観だと思いますが)興味深いです。

それに、特に興味深かったのは、裏底名から長崎の当時の輸出事情、武器輸入、戊辰戦争、と繋がっていく推察の展開は実に楽しく、わくわくさせられます。司馬遼太郎の”竜馬がいく”を思い出しました。

しかもこのC&Sがアトランタ、ジョージアで使われていたとは・・・これまた偶然の面白さですね。因みに、カップに描かれた短歌の様な文字は
元の持ち主さんにはどのように映ったのでしょうかね?^^

ココペリ77 #- | URL | 2013/10/08 17:39 [edit]

ココペリ778さん、

コメントありがとうございます。
そうですね。なんとなく小さめの皿と湯飲みに取っ手をつけたものを
組み合わせていたような印象ですね。
当時に日本人にとっては、コーヒーカップとは未知の物だったんでしょうね。

肥前陶磁器と幕末歴史の関係は興味ですよね。
特に鍋島藩の幕末の活躍は陶磁器輸出が間接的にですが
関わってくるので調べていておもしろいです。
長崎の亀山焼もおもしろい話が多いので、これはまたそのうちに・・

竜馬がゆく、の話が出たのは偶然ですね。
実は久富与平は明治維新後、大隈重信に東京都知事にならないかと
話を持ちかけられたそうですが、自分は五大陸を貿易をしながら
旅をしたい、と断ったそうです。政治の道を選ばなかった竜馬と
なにか通じるな~と思っていましたv-14

短歌は・・・・文字が薄くて読めなかったのですが、なんの歌なのか
気になるところです。

Michnoski #- | URL | 2013/10/08 18:38 [edit]

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