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肥前陶磁器あれこれ~

オールド香蘭社、オールド深川、古伊万里、平戸焼などを集めています。

 

Fantastic Voyage (古平戸・色絵唐子豆人形) 

今日は、昨年手に入れた秘蔵っ子・古平戸細工物の唐子人形を
紹介しましょう。

数ある古平戸細工物の中でも最小を誇る、極め付き!豆人形です。

色絵・唐子豆人形二体。幕末

ちいさっ!!

boys 1

かわいい豆人形ですが、かわいいだけでは済ませられないスゴイ人形なんですよ。

古平戸というとひねりもの、つまり細工物が有名ですね。
平戸焼ファンとして言わせてもらうと、平戸細工物のすごさは
使用陶石の性質による細工の精巧さにあります。

磁器の細工物は数あれど、精巧さを極めたものは日本の磁器では
古平戸だけだと思います。
これに肉薄できるのは、しいて言えば中国の徳化でしょうか?
残念ながらさすがの徳化窯でも、複雑な細工のものは作れても、
これだけ線のシャープな細工物は作れません。
古平戸の技術は本当に素晴らしい!の一言です。

この人形、平戸焼細工物として特筆すべき点が二点あります。
まずは、このサイズでこの精巧さ!

九谷よ!有田よ!こんなん絶対作れないだろう?といわんばかりの小ささ。
まるでミクロの決死圏!

o(^▽^)o Fantastic Voyage!

それにしても、どうしてこんな小さな人形を作ろうと思ったのでしょう?
謎です。

ちなみに幅2.5センチ、高さおよそ3センチでした。
(写真はインチ定規。)
十六寸(豆)よりちょっと大きいくらいです。

boys 2

もう一点は、この豆人形には上絵がついていることです。
平戸焼で色がついているものは通常錆釉や鉄釉などです。
つまり釉薬で色をつけるのが古平戸の特徴ですが、幕末や明治初期の
輸出品に限っては上絵付をしたものも存在するわけです。
これとほぼ同時期に
造られたと思います。

この女性と子供の像も珍品中の珍品ですが、
この唐子チャンもこれまた非常に珍しいものです。

boys 3

では、それぞれ紹介していきましょう。
まずは一人目。

平戸焼・永遠のモチーフである唐子チャンです。
唐子の豆人形というのは美術館などでも見かけますが、この人形の珍しいところは
その衣装です。唐子なのに、和装なんですよね。

平戸焼の細工物でみかける通常の唐子というのは大てい中国風の衣装を着て、
読書をしたり、太鼓をたたいたりしています。
しかし、この豆人形の衣装は和装。

ところで、この和装どっかで見たなぁ、と思ったら・・・
なんと能楽師の衣装でした。

boys 4

実は、野田敏雄氏の「古平戸細工物」の本に同時期に作られたと思われる
五人囃子の豆人形が掲載されています。
大きさはこちらの唐子よりも大きく、瑠璃釉などで色をつけた竹林七賢人と似た上品なタイプのものです。
こちらの五人囃子も能楽師の和装をつけていることから考えると、
この小さい唐子チャンたち、もしかして五人囃子だったのかも??

姉さん!三人行方不明です!! (゚д゚)

boys 5

しかしまぁ、手の込んだ豆人形ですね。
服のしわ、手のしわ一つ一つまでしっかり彫られています。

boys 6

では、二体目。
謡の拍子でもとっているのでしょうか。
一体目の唐子とは微妙にヘアスタイルも異なります。
こちらは後ろの髪をお団子にしています。

boys 7

先の唐子と異なり、こちらは裃をつけているんですよねぇ。
もしかすると、ひな祭りの五人囃子ではなくて、
能楽のワキ方囃子方の豆人形なのかもしれません。

だいたい古平戸の細工物というのは、平戸藩となんらかのかかわりがあることが
多いようです。

年末日本の実家に帰った時に家でみつけた昭和の豆人形も、
そのモチーフは平戸・最教寺の子泣き相撲でした。
平戸城内にある亀岡神社には能舞台がありますので、
この豆人形も能楽師・ワキ方の人形なのかも?

姉さん!シテ方が行方不明です! Σ(´Д`*)

boys 8

ご覧ください。
足袋の皺まで丁寧に彫られているんですよ。

余談ですが、江戸時代能楽師は武士に準ずる地位が与えられたそうで、
そのため楽師は裃や足袋の着用を許されたのだそうです。
このあたり、芸能の世界にも装束の違いでちゃんと格をつけていたんですね。

boys 9

後ろ姿。
キュートです。

boys 10


boys 11

boys 13

残念ながら、今回手に入ったのはこの二体のみ。
たぶん生き別れの(?)人形がこの世界のどこかにあるんでしょうけど。(つД`)ノ

boys 12

江戸時代、最高の磁器細工技術を持った平戸焼の職人に
その技術を駆使した豆人形をつくらせる、という遊び心。
こんな贅沢な遊びが許された時代にのみ、
本物のハイ・カルチャーが存在したのかもしれませんね。


(おまけ)
19世紀に資本主義の時代が到来してから1世紀以上が経ちました。
フランシス・フクヤマの言う「歴史の終わり」は自由経済主義の勝利を謳いましたが、
実際のところ、本人も認める通り自由経済そのものが世界経済を破綻させつつある今日この頃。
アメリカにおいては上流階級と下層階級の二分化が始まり、
フォーディズムによって生まれた中産階級はもはや消滅しつつあります。
残念ながら、日本も同じ道をたどりつつあるようです。

そんな社会で、遊び心のある細工物なんて一般人に手に入るわけねぇ!
と思われるアナタ、それでもまだまだこんな楽しいおもちゃがあるんですよ(゚∀゚)

見つけました。
冬の長崎空港で!
これぞ、現代の細工物! 

taberen 1

粘土でつくるミニチュアの食べ物が人気なのだそうですね。
アメリカでも、この手のクレイを使ってアクセサリーを作るクラフトが人気です。

こちらは、長崎在住の方が長崎空港にて年末販売していたもの。
食べ物の粘土細工ですが、なかなか精巧にできていて、しかもキュート!

娘はメロンパン(?)のネックレスを購入。
ぶらぶら見ていた私も、思わずこちらを購入。

長崎のお菓子の詰め合わせBOX!

taberen 2

開けてみると・・・・

まずは、カステラ!
taberen 3

福砂屋です。(裏にはなんと!ザラメが!)
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桃カステラ。
taberen 5

よりより。(最近はソフトよりよりなるものがあります)
taberen 6

有平糖。
お茶席などのお干菓子として見かけますね。
(進化系は日本橋の栄太郎飴らしい・・なつかしいけど苦手な味ですのぅ・・)
taberen 7

そしてコレ!
長崎県人以外にはわからん代物でしょう。
これは一口香(いっこうこう、と読みます)
中が空洞になっているお菓子です。
おすすめは茂木一〇の一口香。
こんなに小さいのにちゃんと中が空洞になっています。
スゴイ!
taberen 8

作ったのは、Taberen (たべれん→長崎弁で食べられない)という作家さん。
ユーモアのセンスもありますねぇ。

taberen 9

柿右衛門(東インド会社→オランダ行き)の唐子と南蛮菓子(ポルトガル)。
時代が合っていません。ハハ・・・

taberen 10

長崎の菓子箱を眺める有田と平戸の唐子。
かわいいですねぇ。

時代は合っていませんが、この三つに共通していることが一つ。
それは、みんな大航海を経てそれぞれの場所にたどり着いたということです。
柿右衛門は肥前からヨーロッパへ。
この古平戸は三川内からヨーロッパ(イギリス)経由でオーストラリアへ。
そして長崎のお菓子は中国福建省やポルトガルなどから
航海を経て長崎にたどり着きました。

まさに、Fantastic Voyage!

九州のやきものとお菓子は、16世紀に始まったグローバリゼーションが作りだした
ダイナミックな文化を象徴するものでもあります。



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Category: 平戸焼

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Comments

小さく、精巧で可愛らしいですね(^-^;
確かに、2体だけでなく、最初は5人囃子のように5体で一揃いだったのかもしれませんね。
残りも見つかるといいですね。

柿右衛門の唐子の笛は2体あったんですか。
我が家にも2体あります。
こちらの唐子は、1体でも十分ですが、2体にすると対になりますよね。

ところで、私は、平戸焼をよく知らないんですが、平戸焼とか古平戸焼とか三川内焼とか、いろいろに言われますよね。
古平戸焼というのは、時代は、何時の頃の物を言うのでしょうか。

Dr.K #eXNwpwSM | URL | 2018/01/30 17:06 [edit]

Dr. K様

柿右衛門の唐子笛は最近もう一つ安くで手に入りました。
ヨーロッパの下手なディーラーだと、明治の復刻品と
18世紀のものとの区別がよくつかないようです。
ラッキーでした。そのうち、復刻版も併せて紹介しようと思います。

さて平戸焼の名称ですが、ざっくりと分けて
江戸時代までのものを平戸焼、あるいは古平戸、そして
明治以降は三川内焼と呼ぶようです。このあたりの名称の違いは
明治の廃藩置県に起因します。
江戸時代においては、三川内(平戸藩の御用窯があったところ)は
平戸藩の領地でしたが、明治以降はこの地は(紆余曲折の結果)
佐世保市に取り込まれます。
三川内は実際有田と波佐見に隣接する場所にあり、
平戸島とは地理的にかなり離れていますので(高速を使っても1時間くらい
かかります)、廃藩置県以降、平戸焼と呼ぶには不都合だったのかもしれません。個人的には、現在の三川内焼の知名度がイマイチなのは
その名称にあると思います。やきものそのものに潜む歴史性が
消されてしまっているんですよね・・・三川内焼という名前には
平戸という言葉の含蓄する文化性とか歴史性が見出せないと
思います。残念です。

この唐子は19世紀前半から中期までに平戸藩が
ヨーロッパ輸出用に造ったものだと思われますので
古平戸と呼ぶことにしました。ただし、幕末と明治初期の
輸出ものの境界線は極めてあいまいなんですよね(笑)

Michnoski #- | URL | 2018/01/30 21:40 [edit]

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