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肥前陶磁器あれこれ~

オールド香蘭社、オールド深川、古伊万里、平戸焼などを集めています。

 

これが湖東焼! (染付・色絵 鳥形名花十友紋皿) 

先日のこと、相方がとあるオークションハウスのラインアップを
見ながら、突然こんなことを言いました。

「これ、変な皿だよなぁ。パッと見は唐物なのによく見ると美濃にも
見えるよ。裏の銘なんて書いてあるの??」

「???」

おおお・・・デジャヴです。
前にもそんなこと言ってなかったっけ?

そーだ!以前五人唐子の亀山焼の皿を見たときに、似たようなことを言ってたっけ。

「唐物のようで唐物でなく、有田のようで有田でない」

そうです。19世紀前半、突如現れ、江戸時代が終わるとほぼ同時に忽然と消えた
あの長崎の名陶、亀山焼です。

どれどれ・・・と裏銘をみると、なんと!あの湖東焼ではありませんか。

「これは湖東焼だよ」と教えると、
「コトー?なにそれ?瀬戸?なら、いらない。」と言います。

「いやいや、ホラ、幕末の桜田門外の変で暗殺された大老がいたよね?
あの大老が保護した藩窯のものだよ。」と説明すると、突如興味を示しました。

長崎奉行がテコ入れし、長崎文化の粋を極めて造られた亀山焼同様、
彦根藩の湖東焼もまた、時の大老であり文化人でもあった井伊直弼の栄華を
反映するかのような質の高い磁器を造りました。

基本、肥前磁器以外は全く興味のない私たちですが、
湖東焼の歴史性と亀山焼との類似性に惹かれ、購入することに。

まぁ、平戸とか柿右衛門に比べると
そう高い買い物でもなかったんですけどね・・・
きっと海外では知られていないからでしょう。
儲けもんでした(* ´ ▽ ` *)

いらっしゃいませ。
染付・色絵 鳥形名花十友紋皿 
江戸後期。

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湖東焼については、門外漢なので詳しくはありません。
悪しからず。

実は、このブログを始める前は湖東焼の存在すら知らなかったのですが
以前コメントをくださっていた方のブログに時々その名が出てきて
いたので、「琵琶湖のあたりに磁器があったらしい」くらいには知っていました。
なんでも、長崎の亀山同様1820年頃商人によって開窯し、その後は
文化レベルの高い彦根藩の支援を受けて、文人好みの磁器を造ったのだそうです。
井伊直弼の頃に黄金期を迎えますが、大老暗殺後はその後ろ盾を失い
明治の頃には消滅したようです。

亀山焼の歴史と、開窯の時期といい、文化背景といい
政治的な背景といい、なんだか似ていますね。

その後某有名骨董ブロガーさんなどのブログを見ると
面白いことに、染付湖東焼の中にどことなく亀山焼を思わせるものが
あることに気づきました。

キーポイントは、日本磁器と文人趣味の融合にあると言えるでしょう。
亀山焼は長崎における中国趣味を反映したものでした。
しかし、もともと茶の文化は中国の禅文化に由来しますので、
中国文化と茶道文化(特に煎茶文化)とは重なる部分があります。

ちなみに、長崎の中国文化のもとは福建省から
やってきた黄檗宗。隠元隆琦を最初に迎えたのは
宇治の萬福寺ではなく、長崎の興福寺なんです。
江戸時代の長崎には唐人町があり、今日も中国文化の影響を
色濃く残します。

長崎南画をやきものの絵付けに反映させた長崎の亀山と、
彦根の茶人井伊直弼の支援した湖東焼は
中国由来の茶文化(煎茶)を通して、ちゃんとつながりますね。

koto 2

この皿、どこが文人趣味なのでしょう。
実はこの図柄、名花十友といって、宋の時代
曾端伯が十の名花を十種類の友人に例えたもので、
南画のテーマとしてもよく見かけますので、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。

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その十種類の友人とは・・・
ざっと述べると、こんな感じです。

茶蘼(韻友)  
茉莉(雅友)  
瑞香(殊友)  
荷花(浮友)
巌桂(仙友)  
海棠(名友)  
菊花(佳友)  
芍薬(艶友)
梅花(清友)  
梔子(禅友)

さすが中国の文化・・・・ふっ深い!

koto 4

中国の宋の文化は、日本文化とゆかりがあります。
それもそのはず、鎌倉時代に禅宗が日本に広まったわけですが
この時に中国の禅文化も、仏教の教えのみならず入ってきます。
茶の風習、絵画などは鎌倉時代に日本文化に大いに取り入れられます。

先日、中国の嵩山少林寺のお坊さんを家に招いて
ピザでおもてなし(?)したんですが、その時お師匠さん曰く、
「日本の水墨画は中国の宋時代のものを良く継承していますね」。

お?何気に上から目線ですが?Σ(´Д`*)
いやいやいいんですよ。

まぁ、このように宋の文化というのは日本における
禅文化に大いに影響しているわけです。

話をもどしますと、名花十友が茶道具や
南画のテーマとして扱われるのは、このような理由からです。

koto 5

さて、この皿ですが名品にはちがいありません。
どうも、絵付けが酷似していることから、
こちらとの姉妹品であると思われます。

スクロールダウンして、湖東焼の茶道具を見てください。
湖東焼「染付名花十友図水注」として載っています。

koto 6

大津にある水注は染付ですので、こちらの染付皿と一緒に
使うのでしょうか。

湖東焼というのは、有田系のもの、九谷系のもの、古九谷系のものなど
いろんな高級磁器を模して造られたようですが、こういった染付に部分的に色をつけているのは
珍しいのではないかと思います。

亀山も同様で、たま~に染付にちょっとだけ色をつけたものがあるようで
このような作品は珍品中の珍品と言われています。

本当に亀山に似ていますね。

koto 7

裏。
koto 8

お約束の湖東の銘が。

koto 9

湖東焼の中でもかなり良いものではないでしょうか。
裏までなかなか凝っています。

koto 10

なかなかシャープに仕上がっています。
陶石はなにをつかっていたんでしょう。
気になります。

koto 11

部分色絵の皿です。
並べてみました。

こうやってみると、呉須の発色が濃いですね。

koto 12

こちらは染付。

koto 13

先のリンクにもある通り、昨年10月から年末まで滋賀県で開催された
「珠玉の湖東焼」に出ている水注とペアの皿は、こちらです。
煎茶道具なので、菓子皿ではないかと思います。

koto 14

良い絵付けですが、上記の色絵のものと比べると
やや質が劣るように思えます。

koto 15

それにしても、染付皿のこの呉須の発色。
幕末頃の深川栄左衛門の皿を思わせます。

koto 16

このような高級磁器の呉須の発色の類似性、面白いですね。

こういった深く鮮やかな色は、有田の輸出用高級磁器、亀山焼などに
大いに使われているわけです。
似た発色の呉須が、この高級磁器に見られるのは
非常に興味深いですね。

koto 17

裏。(染付)

koto 18

発色が濃いのは、温度のせいでしょう。

koto 19

どんな干菓子でもあいそうです。

ここは緑茶でなく、本場の福建省、あるいは台湾高山のウーロン茶でも入れたいところです。
先日、少林寺のお坊さんに頂いたお茶でも入れますかね(^∇^)

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名窯・湖東焼に使われた呉須、しかと観察しました。
1800年から始まった深く鮮やかな「呉須の秘密」、
どこからやってきたのかついにヒントを掴みつつあります。
でも・・・まだ秘密です。

koto 21



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嬉野の名陶、源六焼 

明治有田超絶の美、という本が九陶から販売されているそうで、
昨年末里帰りした際に早速購入しようとしたら、すでに売り切れていました。
残念!(つД`)ノ

明治の有田磁器の完成度の高さについては
今更説明するまでもありません。
有田の香蘭社、深川製磁、精磁会社など、文明開化の明治j時代に
大輪の華をいくつも添えました。

さて、明治の磁器の先鋒というのは当然有田と
瀬戸ですが、実は有田にほど近い嬉野に
大変な名陶があったことをご存知でしょうか?

今日は、先日手に入れた嬉野の名窯である富永源六の珍しい皿を紹介しましょう。

ど~だ!(^∇^)

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長崎街道の途中にある嬉野は有名な温泉宿場町です。
シーボルトなどが遊んだ温泉地として有名ですが、
実は島津藩が江戸ー鹿児島間を往復する際に定宿として利用し
栄えた街でもあります。嬉野の有名な宿に島津藩の
〇に十文字の紋が入っているのはこのためです。

その嬉野市ですが、地理的に非常に興味深い場所です。
嬉野は波佐見、有田、武雄、三川内などと距離的に非常に近く、
高級磁器の製造に必要な天草陶石を加工する塩田からは
もう目と鼻の先なんです。

このためかどうかは謎ですが、この近辺では
明治よりずいぶん前、17世紀後半には既に高級磁器が
造られた歴史があったようです。
(不動山皿屋谷など)

以前、亀山焼を紹介したときにも述べましたが
1820-1860年頃の輸出磁器は有田以外では
亀山や塩田からのものだったとの記述がイギリスにあります。
また、こちらでも紹介しましたが
亀山焼、鍋島藩窯、そして源六焼には明治維新以降になんらかの
関りがあったようで、このあたりも非常に興味をそそられます。

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さて、件の源六焼は明治時代、突如彗星の如く現れ
あれよあれよというまに、有田の名窯と肩を並べるような
高級磁器を作るようになりました。
創業年が1888年ですから、新しい窯ということに
なりますが、名前がブランドになるほど
作品の完成度が高かったわけです。

G4.jpg

それにしても、このお皿のモダンなこと。
今から30年前に作られました、と言われても良いくらい
モダンですね。
こんな皿が明治(大正)に作られていたというのは
驚きです。

G4.jpg

さて、源六焼は名前そのものが嬉野の焼き物と一線を画して
ブランド化するほど有名になったわけですが、その特徴というのは
つかみにくいものです。

釉下彩などが特に有名ですが、その作品には
有田や平戸などの伝統的な高級磁器をもとに作られた
ものも多く、特に美術工芸品に関しては肥前磁器の伝統を受け継ぎつつ
さらに洗練させた印象を受けます。
このあたり、富永源六と宮川香山はどこか通じるところがありますね。
二人の経歴を見ると、その類似性にも納得です。
背後にある哲学というものは、Learn from the best といったところでしょうか。

日本のクラフツマンシップの王道とも言うべきものですね。

裏。
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桔梗。
G7.jpg

鳳凰。

G8.jpg

明治・大正頃のものでしょう。(九陶の銘款集より)

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ちなみに源六製のものをググってみると、国内で手に入るものは
圧倒的に染付が多いようです。
これは海外で購入していますが、輸出用だったので、
明治輸出ものの例にもれず、かなり気合の入った品質の良いものです。

一瞬、名花十友?と思わせますが、ご覧の通り
図柄はモダンそのものです。

さて、九陶から販売されている(注:九陶のまわしものではありませんよ!)
有田、鍋島、嬉野、志田などの焼き物を集めた「白き黄金」という本がありまして、
有田、鍋島の名品に関しては見飽きたものばかりですが、武雄や嬉野などの
やきものの紹介をしているという点では、非常に良い文献だと思います。

その中でも、嬉野の源六焼は一目見て「香蘭社?」と
思わせるものですが、先にコメントをしてくださった方のお話によりますと
深川と富永源六は親戚関係にあるのだそうです。

どの時代もそうですが、名品が生まれる背景を理解するには
婚姻関係やその地域へ移住した人口を分析するのが近道では
ないかと思います。

深川一門と源六の関係と両社の作品の類似性には納得です。
(^∇^)ノ 

G10.jpg

まぁ、香蘭社といえば、このデザインは今日の香蘭社のものにも
通じますね。

名門、香蘭社はそろそろオリジナリティにこだわった作品を
造ったほうが良いと思うのですが・・・余計なお世話か・・
|ω・`)

G11.jpg

実は、嬉野近辺にはもう一つ素晴らしい作品をつくる名窯がありまして、
こちらは含珠焼と言います。海外では平戸と誤認されていますが
実際は武雄(嬉野の隣)の樋口家の窯で作られた作品です。

先のコメントしてくださった方によりますと、この樋口治實も
富永源六とは友人で、親戚関係にあったそうで
早い話、明治の名窯はみななにかしら関係があったことが推察されます。

瀬戸の磁祖、加藤民吉が三川内の窯元と(婚姻)関係があったという
話がまことしやかに伝えられたり、異論が唱えられたりしていますが
こうして作品の類似性を鑑みると、そういった話がなかったとも
言い切れないと思うんですがね・・・

G12.jpg

最後に、嬉野の焼き物の歴史は古く、1600年以降朝鮮人陶工によって
始まった、とされていますが、本当にそれだけなのか正直疑問です。
茶の栽培が盛んな嬉野にいたのは本当に朝鮮人陶工だけだったのでしょうか。
明治を待たず、嬉野、武雄近辺では17世紀後半には
すでに有田と並ぶ磁器が作られていました。

なぜ嬉野や武雄から名窯が突如現れたのかは、
これらの地域が鍋島藩であったというだけでは説明できないように思えます。
このあたりのことは、いろんな仮説が立てられますが、まぁそのあたりのことは
もうちょっとリサーチしてからにしましょう(笑)

次回は、彦根藩のあの焼き物を紹介します。
ミュージアムピースです(笑)

すぐですっ....

(。-_-。)

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Category: 嬉野

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翔ぶが如く (色絵 応龍牡丹唐草文 長皿) 

来年の大河ドラマは司馬遼太郎の「翔ぶが如く」・・・・ではなくて、
林真理子の「西郷どん」‥‥ ( ゚Д゚)ハァ?

せっかく西郷隆盛の話なのに・・・・林真理子の原作とは!
でもまぁ、鈴木亮平が主演だし、俺物語!!よろしく演じてくれるんじゃないでしょうか。
しかも、大久保利通が瑛太とは!
そうきたかー!
野心的な大久保利通を腹黒くも複雑に演じてほしいもんです。

さて・・・・
まぁせっかくなので、「翔ぶが如く」を読みつつ(←まだ終わってなかった!)、
柿右衛門様式の秘蔵っ子でも引っ張り出してみました。

いやはや、珍品いや名品です。

色絵応龍牡丹唐草文長皿 (1680頃)
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見込みの色絵部分を除けば、そう珍しいものではないかもしれません。
裏銘は渦福。
いわゆる延宝様式のものです。
(詳細は九陶から出ている柴田コレクションVを参考に)

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初めて見たときは、「なんじゃ、こら?」という感じでした。
延宝様式の図柄はバラエティに富んだものが多いですが
この図柄はさすがに国内外を問わず図録でも見たことがありません。

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染付のスタンダードな龍と比べると、色絵の応龍は
どことなく西洋風ですね。イギリスなどの紋章を思わせます。

でも調べてみたら、この時代の柿右衛門のモチーフには
ちゃんと応龍は含まれていました。
有名なものは、西本願寺の陶板。
東京国立博物館にも同じものがあるそうです。
応龍は、通常胴体は緑色で翼は緑と青、黄色ですが
珍しいことに、こちらは青の代わりに紫の色がついています。

以前、有田の源右衛門窯の古陶磁館を訪れた際、
17世紀の珍しい色絵の芙蓉手の輸出皿を見たのですが
お店の人曰く、「紫の入ったものは珍しい」のだそうです。
たしかに輸出古伊万里や柿右衛門の名品にも紫が入っています。

FD4.jpg

応龍というのは、古代中国神話に出てくる幻獣の一つです。
もとは中国最初の皇帝といわれる黄帝に仕えていたとされ、
天を掌る黄帝が蚩尤と戦った際に嵐をおこし加勢しました。
しかしこの時の殺戮の罪を問われ、後に中国南方へ追われてしまったそうです。

黄帝というのは、もちろん中原の皇帝(中華皇帝)のもとになった
ものですが、この時戦った相手の蚩尤というのは、実はモン族(ミャオ族)
なのだそうです。
この戦争に敗北し全滅を免れた蚩尤(モン)は、
その後南方の勢力として常に中華帝国を苦しめることになります。
ヴェトナムなどとの中原とのその後の確執がちゃんと説明されていますね。

要はこの神話は
漢族(Self) 対(漢族にとっての)南方の夷狄(Other)という構図を
含んだ中華思想イデオロギー言説のひとつなわけです。

応龍は天上に仕える身でしたが、血の穢れのため天界を追われ、
南方地方に移り住みました。このため中国南方地域には(応龍が雨を
降らせるために)雨が多いのだそうです。

おお!ちゃんとオチがついています!
さすが中国の神話、ちゃんと考えつくされていますね(笑)

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側面には染付の龍が二頭。
この龍は延宝時代によく見られるものです。

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三頭の龍が描かれています。
青龍と応龍と理解してよいものか・・・

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裏面。
この皿、かなり気合の入った絵付けです。
裏まで手抜きなしの仕上がりです。
素晴らしい!

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銘は渦福。
1680-1700年ごろのもので
間違いなさそうです。

FD9.jpg

高台の鋭利な造りもこの時代ならではです。

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四方の角にもさらに四頭の青龍が描かれています。

FD11.jpg

それにしても、この時代のものはどんなものであれ
完成度が高いですね。

FD12.jpg

柿右衛門の名品などは、持ち主が代々大切に扱ってきたことは
容易に想像がつきますが、こんな小さな皿が、よくもまぁ300年も
素性も知られず、捨てられもせずに生き延びたものです。
西洋的な応龍の魅力のためなのかはわかりませんが、
今日まで割られもせずに持ち主に大切に扱われ
よくぞ無事に我が家へ来てくれた、と感謝する思いです。

大げさか・・・(*´_ゝ`)

FD 13

実は応龍の存在を最近までしりませんでした。
昨年末九陶に別件で行った時に、学芸員さんに
「あ、これは応龍ですよ」と教えて頂きました。

日本の文化を読むのには、中国の文化リテラシーが必要だなぁ、と
痛感する今日この頃です。

次回、嬉野の名窯の品を紹介します。
すぐですっ!(汗)

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Category: 古伊万里

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