染付 柳翡翠青海波梅文 蓋付角瓶 (肥蝶山・深川製)
早いもので、もう8月も中旬ですね。
日本は、例年並みの酷暑に加え、台風まで猛威をふるうという
なんかもう、ありえないお天気のようです・・・
この夏、帰国できなくてガックリしていましたが、
日本のニュースを見ると、う~む、帰らなくてもよかったかな?
いやいや、なんだかんだいっても、やっぱり日本が恋しいことに
変わりはありません・・・
さて、今日は深川栄左衛門時代の深川窯による幕末輸出用の角瓶を紹介します。
こちらでは割とよく見かける代物ですが、日本のネットオークションでも
たまに出品されることがあるようですね。

柴田コレクションIVの図録500に非常に良く似たものが載っていますし、
かの蔵春亭三保製のもので、南京赤絵風のもので全く同じ型のものが
あります。
以前書きましたが、幕末の有田・波佐見・志田・三川内周辺は
もうなにがなんだかわからないハイブリッドな世界だったので
推測するに、有田のどこかの窯が生産を一手に引き受け
染付にしたり、名前をいれたり、色絵にしたり、と輸出業者兼窯元
(かんぱにぃ、ですな)に卸していたのでしょう。

幕末・明治初期の肥前系に良く見られる呉須の発色です。
あんまり良いとは思えませんが・・・
この角瓶、一体用途はなんなのでしょうか?
欧米では、一応これはTea Caddy (お茶入れ)と呼ばれますが
Tea Caddy にしては小さめなので、おそらくインク瓶だったのではないでしょうか。

余談ですが、この幕末・明治初期という時期には
欧米の生活に合わせたいろんなものが輸出されました。
以前このブログでも紹介しましたが
有田焼や平戸焼などは、燭台、インク瓶、ペーパーウェイト、卵殻手のコーヒーカップ
などなど、欧米の家の書斎やダイニングを彩るものが随分つくられ
松浦藩や鍋島藩などはかなり外貨を稼いだそうです。
これもそんな外貨を稼ぐために発注されて造られたものなのでしょうね。

輸出用のものだと、質が劣っているものが多いのですが
こちらはなかなか丁寧に作られていると思います。
ちなみに、角瓶のみならず姉妹品(笑)として
丸瓶もありますので、そのうちゲットしたいと思います。ふふふ。

端正な造りです。
ディスプレイとしても良い感じです。

鳥は、かわせみのようですね。
かわせみは別名翡翠(ヒスイ)と呼ばれるそうです。
体毛の発色加減で青みがかった翠色にみえるからなのだとか。
渓流や川辺に生息し、日本画や南画などでは、柳に翡翠という図で
描かれることが多いそうです。
翡翠はいうまでもなく、中華皇帝の印でありますので、
この構図は中国からの影響がないともいえないでしょう。

こういう構図を輸出品に描いた背景としては、当然
当時欧米で人気だったチャイナを強く意識したからだと思われます。
Tea Caddy Blue White (←染付のこと)でググると清時代の欧米への輸出品である
染付の茶入れがたくさん出てきます。
その絵付けの素晴らしいこと!
1860年代というと、世界の中心を自負していた中華皇帝おさめる
清王朝という名のライオンは、欧米というハイエナに食い散らかされつつ
ありました。
皮肉なことですが、このような事態に陥った原因の元をたどると
中国があまりに豊かだったからでした。当時、中国の冨の象徴であった
絹と茶は欧米を大変魅了しました。
輸出された茶が、中国の青花の茶入れに入って欧米で売られたとき
欧米人はどれほど喜んだことでしょうね。

深川栄左衛門は、当時欧米で人気のあったチャイナの絵付けを
多少ならずとも意識したのだと思います。
さて、骨董を集めていると、だんだん趣味の対象が変わってきます。
最近になってようやく欲しいものを絞るようになったのですが
(古平戸と元禄期の輸出伊万里←でもなかなかないですね)
深川・香蘭社系は今でもこつこつ集めています。
骨董屋などで見ると、どうしても買わずにはいられません。
値段がそんなに高くない、っていうのもあるんでしょうけどね。
深川・香蘭社は時間がたち、それなりに眼が肥えても、
やっぱり魅力的に映ります。
次回は、古平戸の超珍品(!)を紹介します。
いつアップするかって?すぐですよ(笑)
ブログ村に参加しています。
ポチッとお願いします。

にほんブログ村

にほんブログ村
日本は、例年並みの酷暑に加え、台風まで猛威をふるうという
なんかもう、ありえないお天気のようです・・・
この夏、帰国できなくてガックリしていましたが、
日本のニュースを見ると、う~む、帰らなくてもよかったかな?
いやいや、なんだかんだいっても、やっぱり日本が恋しいことに
変わりはありません・・・
さて、今日は深川栄左衛門時代の深川窯による幕末輸出用の角瓶を紹介します。
こちらでは割とよく見かける代物ですが、日本のネットオークションでも
たまに出品されることがあるようですね。

柴田コレクションIVの図録500に非常に良く似たものが載っていますし、
かの蔵春亭三保製のもので、南京赤絵風のもので全く同じ型のものが
あります。
以前書きましたが、幕末の有田・波佐見・志田・三川内周辺は
もうなにがなんだかわからないハイブリッドな世界だったので
推測するに、有田のどこかの窯が生産を一手に引き受け
染付にしたり、名前をいれたり、色絵にしたり、と輸出業者兼窯元
(かんぱにぃ、ですな)に卸していたのでしょう。

幕末・明治初期の肥前系に良く見られる呉須の発色です。
あんまり良いとは思えませんが・・・
この角瓶、一体用途はなんなのでしょうか?
欧米では、一応これはTea Caddy (お茶入れ)と呼ばれますが
Tea Caddy にしては小さめなので、おそらくインク瓶だったのではないでしょうか。

余談ですが、この幕末・明治初期という時期には
欧米の生活に合わせたいろんなものが輸出されました。
以前このブログでも紹介しましたが
有田焼や平戸焼などは、燭台、インク瓶、ペーパーウェイト、卵殻手のコーヒーカップ
などなど、欧米の家の書斎やダイニングを彩るものが随分つくられ
松浦藩や鍋島藩などはかなり外貨を稼いだそうです。
これもそんな外貨を稼ぐために発注されて造られたものなのでしょうね。

輸出用のものだと、質が劣っているものが多いのですが
こちらはなかなか丁寧に作られていると思います。
ちなみに、角瓶のみならず姉妹品(笑)として
丸瓶もありますので、そのうちゲットしたいと思います。ふふふ。

端正な造りです。
ディスプレイとしても良い感じです。

鳥は、かわせみのようですね。
かわせみは別名翡翠(ヒスイ)と呼ばれるそうです。
体毛の発色加減で青みがかった翠色にみえるからなのだとか。
渓流や川辺に生息し、日本画や南画などでは、柳に翡翠という図で
描かれることが多いそうです。
翡翠はいうまでもなく、中華皇帝の印でありますので、
この構図は中国からの影響がないともいえないでしょう。

こういう構図を輸出品に描いた背景としては、当然
当時欧米で人気だったチャイナを強く意識したからだと思われます。
Tea Caddy Blue White (←染付のこと)でググると清時代の欧米への輸出品である
染付の茶入れがたくさん出てきます。
その絵付けの素晴らしいこと!
1860年代というと、世界の中心を自負していた中華皇帝おさめる
清王朝という名のライオンは、欧米というハイエナに食い散らかされつつ
ありました。
皮肉なことですが、このような事態に陥った原因の元をたどると
中国があまりに豊かだったからでした。当時、中国の冨の象徴であった
絹と茶は欧米を大変魅了しました。
輸出された茶が、中国の青花の茶入れに入って欧米で売られたとき
欧米人はどれほど喜んだことでしょうね。

深川栄左衛門は、当時欧米で人気のあったチャイナの絵付けを
多少ならずとも意識したのだと思います。
さて、骨董を集めていると、だんだん趣味の対象が変わってきます。
最近になってようやく欲しいものを絞るようになったのですが
(古平戸と元禄期の輸出伊万里←でもなかなかないですね)
深川・香蘭社系は今でもこつこつ集めています。
骨董屋などで見ると、どうしても買わずにはいられません。
値段がそんなに高くない、っていうのもあるんでしょうけどね。
深川・香蘭社は時間がたち、それなりに眼が肥えても、
やっぱり魅力的に映ります。
次回は、古平戸の超珍品(!)を紹介します。
いつアップするかって?すぐですよ(笑)
ブログ村に参加しています。
ポチッとお願いします。

にほんブログ村

にほんブログ村
Category: 深川栄左衛門
| h o m e |