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肥前陶磁器あれこれ~

オールド香蘭社、オールド深川、古伊万里、平戸焼などを集めています。

 

色絵 窓絵唐花牡丹文 皿(元禄伊万里)~骨董収集の楽しみとは~ 

皆さんは骨董収集にどんな楽しみを見出していますか?

印判の小皿や幕末の器を集めて日常の食卓を豊かにされている方もいれば、
図鑑・名鑑に載るような蕎麦猪口を集めている方もいらっしゃるでしょう。

邪道といわれるかもしれませんが、私にとって骨董収集の楽しみとは
ズバリ(?)ゲームの感覚だと思うのです。

骨董収集という趣味の世界に最初に誘ってくれたのは、コネチカットにある
某アイビーリーグの医学部のアメリカ人教授でした。
私達夫婦のよき友人でもあります。
(ゲイですが)カップル共に骨董集めを趣味とし、主にニューイングランド
コロニアル趣味の家具などを収集していました。

骨董趣味というと、お金持ちの道楽のように思う人もいるかもしれませんね。
でも、彼らは暇を見つけてはジャンクセールやヤードセールなどの中古品を適当に
売っている店に足しげく通い、そのゴミの中から骨董と呼べる名品を
文字通り”発掘”するわけです。
価値のあるものを自分達の眼で確かめて安い値段で購入するわけです。
そんな彼らの家の中はミュージアムピースで一杯です。

”どうやって、ゴミ同然の物と骨董と呼べるものと区別するんでしょうか?”と
当時の私は目を丸くして聞いたものでした。

師曰く(笑)、目を磨け、と。

要は、美術関係の本を読みまくり美術館へ行って良い物を見、
美術工芸品の歴史を知ることなり・・・
さすれば、自然と良いものとそうでないものとの区別ができるようになろうぞ・・・・・・

お告げのようなこの言葉、どんなもんでしょ?
当時は、ハァ?もうちょっと簡単に見分けるノウハウを教えてオクレ~と
思ったものでした。

あれから6年が経ちましたが、やはりあの師の言葉は正しかったと思うのです。
美術の本を読んだり、美術館に行き美術工芸品を見ることで、だんだん良いものに目が慣れ、
そうすると昔悦に入って買ったお茶碗などを見て、”なんじゃこら~!"などど思うわけですね。

さて、勉強するとテストをしたくなるのがベビーブーマーな私の悪い癖です。
勉強したら本当に身についたのか気になるし、身についたのならなんらかの報酬が欲しい・・・

というわけで、玉石混合、キケンがイッパイのイーベイで骨董ハンティングのゲームに興じるわけです。

このゲームの目的は、(1)価値のあるものを自分の眼で探すこと、
(2)価値のあるものを安い値段で購入すること、です。

さて、品物そのもの、あるいはその価値を知らないディーラーの出品するものを
見分けるのは一見簡単なようで案外難しいものです。
ディーラーの提供する情報を鵜呑みにせず、過去に勉強したデータを総動員して
”勝手にお宝鑑定”するわけですね~。

ゲームの魅力は、他の人が気づかないお宝を見極める。
そして市場に出回る値段より安く買う、これでしょう。
市場値段を大きく下回ったら私の勝ちです。フフフ。

Genroku imari plate 1

先々週購入したのは、こちら元禄伊万里の色絵窓絵唐花牡丹文の皿です。

Genroku imari plate 2

元禄期の古伊万里はその最高峰と言われています。

元禄文化そのものが江戸時代を象徴する町人文化の最骨頂と思えば
元禄伊万里が古伊万里の歴史のクライマックスであるのは当然のことでしょう。

おもしろいな、と思うのは、普通時代が上がるにつれ物の質は上がると思うのですが
美術に関しては、テクノロジーと同じようにはいかない様で、美術史を彩る最骨頂と言われる
時代は必ずしも昨今ではありません。
柴コレの本などを見てもわかるとおり、元禄以降の古伊万里は残念ながらこの時代の物には
遠く及びません。

元禄以降で有田が再び精彩を放つのは明治時代に入ってからではないでしょうか。

Genroku imari plate 3

さてこのお皿ですが、1690年から1710年の間に造られたものだと思います。

まずは見込みの牡丹の繊細な絵付けが元禄伊万里独特のものですね。

この牡丹の葉の部分の呉須の色も決定的だと思います。
以前お見せした輸出元禄の芙蓉手と並べると、呉須の色が全く同じです。

ちなみにこの時代の呉須の藍色は他の時代の物とくらべると特徴があります。

Genroku imari plate 4

造形も見事ですが、特筆すべきはやはり絵付けです。
その細部に至るまで丁寧な仕事です。

洗練されている、という言葉では表現し切れていないように思います。

Genroku imari plate 5

さて、裏を見てみましょう。

元禄伊万里お約束の赤玉が・・・

この時代の赤玉文、さっと目を引きます。
うちのお宝ハンターが最初にこれをみて、”アッ!元禄じゃ!”と声を上げました。
(しまった・・・テストをした、とか言いながら、実は相棒にもカンニングの片棒を担がせていました。)

Genroku imari plate 7

裏銘は、太明萬歴年製、高台の内側も二重になっております。

Genroku imari plate 10

それにしても、この懲りよう。
サイドの絵付けも全く手を抜いていません。
どんだけ丁寧なんでしょう・・・

このあたりも、元禄伊万里が最高だという所以でしょうね・・・

Genroku imari plate 11

赤の色が白磁に映えています。

Genroku imari plate 12

一体どんな高貴な人、あるいはお金持ちが使ったのでしょうね。

Genroku imari plate 6

ちなみに、この皿の出所はイギリスです。

この手の良質のものが出てくる場所は大体限られています。
19世紀中ごろまでならイギリス、オランダ、19世紀後半はアメリカ。

ただし、古いものがアメリカのある特定の州からから出てくることがあります。

皆さんもご存知かもしれませんが、占領時の日本に駐在した将校の中には
文字通りトラックで骨董やにやってきては二束三文で骨董を買い漁った人も少なくなかったそうです。
そういった将校たちが退役して老後に住む州からは、これまた飛びっきりのお宝が出てくることが
少なくありません。

師が言ったとおり、目を磨くだけでなく歴史を知ることも骨董ハンターにとっては必須科目だったわけです。

Genroku imari plate 9

最後に、興味深い話をもう一つ。

このお皿、イーベイで二枚一万五千円弱で買いました。
面白いことに、この皿は古伊万里ではなく明時代のチャイナとして出品されていました。

中国の陶磁器の最高峰は明時代と清初期のものですが、興味深いのは
元禄伊万里がこの時代のチャイナと間違われていたことです。

裏に明と書いてあるので、単に出品者の知識不足だったのではないかという
指摘もあるかもしれませんね。
でもそれだけでは片付けられない類似点はあるように思います。

そもそも元禄文化は日本独自の美的感覚が花開いたものと思われていますが
伊万里は元々チャイナを目標として造られたものなので、日本独自の美を反映しているとは
いいながらも、時を同じくして文化のクライマックスを迎えた中国のものと潜在的に通じる何かが
あるのかもしれません。

Genroku imari plate 13

こういうサプライズが骨董ハンティングの魅力かもしれません。

さて、皆さんの真贋の鑑定はいかに?

そして、このお皿2枚1万五千円は高いでしょうか、安いでしょうか。
果たして私はゲームに勝ったのでしょうか?


Genroku imari plate 8


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Category: 古伊万里

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輸出明治有田・色絵水注 (肥蝶山信甫・田代紋左衛門) 

いよいよ肌寒くなってきましたね。
もう11月です・・・

アメリカ東海岸の紅葉もようやく葉が落ちてきました。
この掃除がこれまた大変なんですが・・・

輸出明治でお茶を濁す第二弾は、有田の豪商・田代紋左衛門率いる田代商会の
輸出品、色絵の水注(だと思いますが)です。

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高さはおよそ22センチほど、マグカップより二回り大き目のサイズです。

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描かれているのは、松の木の周りに戯れる鳥たちと小菊に(穴はないですが)太湖石です。
中国は明と清時代に造られたエナメルの絵付けを意識しています。
パッと見たところ、チャイナのノワールやターコイズの花瓶を思い起こさせます。

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以前にも書きましたが、香蘭社の創設者である深川栄左衛門などの初期の作品にも見られるように
輸出幕末・明治の有田陶磁器にはチャイナを意識したものが多いです。
それもその筈、初期と後期の古伊万里の歴史は輸出唐物の人気のあった時期と重なるからです。
初期の伊万里が唐物を意識したように、江戸時代後期の輸出伊万里も
欧米の市場でチャイナと争わなくてはなりませんでした。
内戦や欧米列強の侵略で荒廃した清王朝ではかつてのような陶磁器を造ることが
困難になりましたが、そこへ再び日本の陶磁器がその市場に殴り込みをかけたわけですね~

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田代紋左衛門は、出島からの輸出陶磁器を一手に引き受けた久富氏の蔵春亭・三保の後を次いで
1856年輸出独占権(鑑札)を獲得し、英国を中心とした欧米に肥前陶磁器を売り込みました。

英国貿易の名目で輸出利権を独占した田代氏ですが、その後思わぬスキャンダルに見舞われます。
有田焼にブランド名をつけて輸出していた田代商会は実は他藩(平戸藩)である三川内窯にも
卵殻手やカップなどを欧米向けに造らせ、有田で赤絵をつけて肥蝶山・信甫製として海外で
売っていたのですが、これを有田の同業者に激しく糾弾され、後に失脚することになります。

しかしなぜこのようなタブーを犯したのでしょうか?

このあたりのことを理解するには少し説明が必要です。

まずは輸出商品の生産量を増やすためには優良な窯元の数の確保が必要ですが、
ここに有田特有の地の利がありました。

有田と三川内はそれぞれ違う藩に所属していますが、地理的には隣町です。
ですから、有田の田代商会が三川内に器を造らせ、それを有田に運んで絵付けをするのは
造作もないことでした。

もう一つは陶磁器における陶土の違いとその製品への影響に関する説明が必要です。
以前、蔵春亭三保のコーヒーカップでお見せしたとおり、
有田焼の陶土である泉山の陶土では欧米人が好む薄手のカップを生産するのは
江戸時代後期、非常に困難でした。
(実際この問題がクリアされたのは9代目深川栄左衛門の香蘭社とその弟深川忠次の時代になってからでした。)

比べて三川内窯が使用していたのは天草陶石と網代陶石です。
この組み合わせだと、以前紹介した平戸焼の細工物を見てもわかるように
粘土質が硬く、薄手のカップを作ることができました。

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このような理由から他藩の窯に商品を造らせ有田焼として輸出し巨利を貪っていた
田代商会でしたが、その後独占していた長崎での輸出鑑札は増やされ
深川栄左衛門率いる香蘭社などが続々と欧米へ有田焼を輸出することになり
輸出有田はチャイナだけでなく自国のブランド同士競争することになります。

この後、明治時代の輸出肥前陶磁器の華麗なる歴史が幕を開けることになります。

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この水注もファーストクラスというわけではありませんが、なかなかの品質だと思いませんか?

今日普段使いできる器でこんなに洗練された商品には一体どれくらいの値がつくことでしょう。

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絵付けも見事です。
チャイナの品質にかなり近づいています。

ご存知の方も多いと思いますが、チャイナの輸出ノワールなどは基本的にほとんど一級品です。
(中国の)官窯で腕を競った職人の作品に近い品質の物を造っていた有田の職人の
腕のよさに思わずためいきがでます。

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裏には大日本肥蝶山・信甫の銘が。

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ちなみに欧米の骨董市場では肥蝶山・信甫製はれっきとしたブランドです。
この銘がつく限り、その高い品質は保証されます。

魚形皿などに関しても、信甫製のものには結構よい値がつきます。
色絵の繊細さも他の追随をゆるしませんが、欧米人の好むオリエンタリズムを強調した
図柄は今も昔も彼らの心を大いに掴んでいます。

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幕末のものは骨董品としては若すぎますが、その歴史を紐解くと古いものとはまたちがった
味わいがあるように思います。



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Category: 古伊万里

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