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肥前陶磁器あれこれ~

オールド香蘭社、オールド深川、古伊万里、平戸焼などを集めています。

 

柴田コレクションの魅力 ~染付窓絵山水牡丹唐草文水差~ 

あっという間に9月も終わりですね。
この秋学期は大学で教えているため、毎日多忙な日々です。
ブログもなかなか更新できません・・・むむ。
東アジア美術史陶磁器について、とかのコースだと教えていて楽しいんでしょうけど。
趣味と仕事を兼ねるのは現実ではむずかしいもんですね。

さて、皆さんのブログを覗いて見ると本当に良いものをお持ちの方が多いですね。
特に柴田コレクションの物をお持ちの方が案外沢山いらっしゃるのでビックリです。

私も里帰りのたびに佐賀まで足を運び、柴田コレクションを見に行きます。
前回の里帰りではついに柴コレの本を全部買ってしまいました。

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最近は骨董は海外で買うほうが安いことが多いとわかり
日本での買い物は専らこういう本ばっかりです。
(骨董屋のみなさん、ごめんなさい)

さて、この柴田コレクションの本を見たり、ブロガーの方が持っている柴コレのお皿などを
眺めたりしているうちに、自分もなにか一つくらいは柴コレがほしい!と思い始めました。
そうはいってもここは日本ではありませんので、国内向けに生産されたものが多い柴コレと
同じものを集めるのは無理です・・・

そばちょこ?そんなものはこちらの骨董屋にはなかなか置いてありません。

が、そんなある日手に入れてしまいました!
柴コレの本に載っている水注をついに買ってしまいました。

それがこれです。
shibata2.jpg

正式には染付窓絵山水牡丹唐草文水差というのだそうです。
元禄期あたりの輸出伊万里なのだそうです。

shibata8.jpg

柴田コレクションの第二集に載っていました。(ワーイ)
ページを開けると・・・

shibata7.jpg

おおおおおお・・・・・!

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っていうか、そもそも初めてこの水注を見たとき、なんかどこかで見たナァ、
と思っていたんですが、夏の里帰りの時の写真を見ていたら

偶然にも・・・

shibata10.jpg

佐賀県立陶磁器文化館で柴田コレクションを見ていたときに写真に撮っていたのでした。

全くの偶然ですね。

この日は6枚くらいしか撮っていないので、なんとなくこの水注に
心惹かれたのかもしれませんね。
まぁそういうわけで、あの日博物館で見たものと同じものが家へやってきました。

いらっしゃいませ。

shibata4.jpg

これに関してはあまり説明はいらないと思います。

造られたのは1670年から1690年代頃だそうです。
元禄伊万里と呼んで間違いは無いと思います。
300年以上昔の物とは・・・古いですね。

絵付けも見事です。
初めて手に取ったときはさすがにため息が出ました。

呉須はこの時代特有の濃い藍です。
表面はつやつやしていて、幕末などの
新しい伊万里よりもよっぽど新しく見えます。
そして非常に洗練されていると思います。

ちなみに本の写真と呉須の発色が異なると思われるかもしれません。
佐賀でみた実物は私の持つものとほぼ同じ発色だと思います。

秀逸です・・・

この水注の出所はもちろんオランダです。
実はオランダにはこの時代の輸出伊万里が結構あります。
こういうものを専門に扱う骨董屋もいます。
まぁそうはいっても大抵のディーラーは時代などは良くわかってはいないようですけど。

それにしても、通常ヨーロッパへの輸出物はチャイナにしても
国内向けと比べると質が劣る場合が多いのですが
この水注の端麗な絵付けを見ていると、いかに元禄時代の伊万里が
他のどの時代と比べても優れていたかがわかります。

残念ながら、佐賀の柴田コレクションの物と同様、私のものも
取っ手の部分が壊れて修理してあります。
まぁ300年ものなので仕方ないですね。
この取っ手が完璧だと当然値段もぐんと跳ね上がります・・・
この辺が貧乏コレクターの悲しいところです。

shibata6.jpg

最後に、もう一つの輸出伊万里と記念撮影です。

ハイ、チーズ。

shibata5.jpg

右側の輸出伊万里(芙蓉手)のほうが時代がちょっと下がると思いますけど
まぁ、お仲間ということで良しとしましょう。

~おまけ~

中秋の名月、みなさんはいかが過ごされましたか?

私の例のマイ・イマリの皿にだんごをのせ・・・・・たかったんですが
ここでは団子などは買えませんし、忙しくて作るのもチョット・・・・

というわけで、月餅をのせてお祝いをしましたよ。

shibata1.jpg

松の実が入っていたり、中にはガチョウの卵の黄身が入っているものもあります。
お味のほうは、おいしいというよりは・・・・重たいんですよね。

ちなみにBBCによると(CNNだったかな)、韓国では中秋の名月にスパムを
送りあうのだとか・・・

ウソー?と思った方、本当ですよ。なんでスパムなんでしょうね????
リポーターもビックリしてましたけど。

shibata.jpg

最後の一枚は意味はありません。
私の住む某国にはおいしいケーキ屋があんまりないのですが、
ここのは日本のものに近い?
甘さも控えめでおいしかったですよ。フランスのカフェをモチーフにしたのだとか・・・

こういうケーキがどんな田舎でも買える日本はやっぱりすごい国です・・・

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Category: 古伊万里

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人魚伝説と平戸 

今日は私のコレクションの中でも、とっておきの珍品を紹介したいと思います。

人魚形の古平戸焼です。

Hirado Mermaid 1

平戸焼のひねり物コレクターの方ならすぐお分かりになると思いますが、
これは昨今ではなく、幕末から明治にかけて造られた古平戸です。

ん?
19世紀?
ちょっと変だと思いませんか?

人魚と聞くと、アンデルセンの童話に出てくる人魚姫やドイツのライン川で船乗り達を誘惑する
ローレライなどいわゆるヨーロッパの想像上の生き物を頭に浮かべる方も多いのではないでしょうか?

実は日本にも人魚伝説はいくつもあります。そして平戸焼を支えた松浦藩のお膝元平戸市は
人魚伝説との興味深い関わりがあるのです。

まずは人魚伝説について。

一番有名な若狭の人魚伝説、八百比丘尼の伝説はよく知られた話ですね。
その昔、若狭の国である漁師が人魚を捕らえ、その肉を村の庄屋が村人に振舞いました。
人魚の肉を喰らうと永遠の命が得られるという伝説があったためでしたが、みな気味悪がって
食べずにこっそり捨ててしまいました。しかしある男の娘は、父が持ち帰って棄てるはずの
人魚の肉を食べてしまい、不死の体となってしまいました。
娘はその後老いることなく、しかし孤独な身の上となってしまったそうです。
この話を基にして、漫画うる星やつらの高橋るみこが短編を書いていたと思います。

よくよく考えてみると、海に囲まれた日本人が人魚という想像上の生き物を
考えなかったわけはありませんね。
近代以降の西洋化のせいでなんでもかんでも西洋のものだと思い込んでしまうのは
全くよくないな、と反省しきりです。

Hirado Mermaid 2

さて、話を平戸に戻します。

松浦藩は江戸時代あらゆる藩の中でも、最も学問に力を入れた藩の一つでした。
実は山鹿素行の弟子が長年藩の学問の発展に携わっていた経緯があります。
(ちなみにかの長州藩の吉田松陰も、兵法を学ぶための最初の留学先に選んだのは平戸でした。)

そんな教養高い平戸藩の君主の中でもとりわけ秀でていたのは第九代藩主松浦静山(清)です。
松浦静山といえば江戸時代の生活や文化、慣習などを書きとめた随筆、甲子夜話が有名ですね。
その甲子夜話に、なんと人魚の話が出てきます。

一つ目の話は玄海灘で伯父夫婦が人魚を見たというものです。
静山の伯父夫婦が平戸から江戸へ向かう途中、玄界灘を船で渡った時
海中から人魚が現われたのを目撃したそうです。

顔が青白く髪が赤茶色であったためひどく奇妙なものでした。
最初は、海女かもしれないと舟人と共に
言い合っていたのですが船は陸地よりかなり離れた沖にあり
そんなはずもありません。
そうこう言い合っているうちに、女は身を翻し海の中へ潜ったのですが
あろうことか、その身を翻した女の体は魚体であり足の代わりに魚の尾があったのだそうです。

Hirado Mermaid 5

この話を書いた後、静山はさらに別の人から讃岐に出没した人魚の話を聞きました。

二つ目の話はこうです。

藩の足軽が平戸から江戸へいく途中、讃岐の海で3メートルほどの
黄色い魚が潮の流れに逆らって泳いでいるのを目撃したそうです。
しかしこの魚、頭部は魚ではなく髪の長い女性のようなのです。
足軽は気味悪く思い、船頭に尋ねますが船のものはみな知らないというのです。
このあたりの海ではよく出没するのか、みなたたりを恐れてか示し合わせたように
人魚のことを黙殺したのだそうです。

この二つの話から受ける印象は、人魚の存在は船乗りの間では案外知られたもののようだった
ということです。

このような話を裏付けるわけではありませんが、興味深いことに
最初の話のあった玄界灘のある福岡には実際に人魚の骨を祀った寺があります。
福岡市博多区にある竜宮寺には、鎌倉時代に捕まえたと言われる人魚の骨が
今も残っているそうです。

玄界灘には人魚が本当にいたのでしょうか?

Hirado Mermaid 6

さて、面白いのはここからです。
この人魚伝説、江戸時代中期から後期にかけて、さらにまことしやかに肥前の国で
人々の口にのぼるようになるのです。

1819年(文政時代)、肥前国平戸近辺に龍神の使者であるという姫魚が現われ
驚くべきことにその後江戸時代の日本を震撼させるコレラの流行を予言したというのです。
しかし同時に、この姫魚は自分の写し絵を家の門に張っておけばコレラには感染せずにすむ、と言ったそうです。

この話に全く良く似たものが同じ時期、同じ肥前の国で広まります。
竜宮の使いである、二つの角をもった人の顔を持つ魚(神社姫)が同じように
コレラの流行を予言します。これ以前、肥後の国で同じく疫病を予言したアマビエという
鳥の嘴をもった人魚の話があります。

こうしてみるといろんな人魚伝説がありますね。
興味をそそられるのは、このような話が九州で多いこと、そして
人魚という想像上の生き物(妖怪)は不吉でもあり吉兆でもあるということです。
特に九州に現われた人魚伝説に限って言えば、予言と除災というあるいみ縁起の良い使者であると
いえなくもありません。

Hirado Mermaid 7

このような肥前平戸と人魚伝説の係わり合いを考えると、古平戸焼の人魚、というのも
そう変ではないかも・・・?

とにかくこういう珍しいものを造る文化的な土台が平戸松浦藩にあったことは確かです。

Hirado Mermaid 8

それにしても一体誰がどんな目的でこんなものを造ったのでしょう?

古平戸には書道の道具が多いので、筆置きかな?

この人魚、平戸のひねりものらしく随分精巧に造られています。

Hirado Mermaid 9

この人魚の精巧さは写真でもわかると思います。
手のひらに乗るくらい小さいのに、ちゃんと手のひらのしわまで描いてあるんですよ。
顔も、平戸焼らしくちゃんと目の部分がくりぬいてあります。
横顔の造形も良いものです。
そして魚身ですが、こちらも驚くほど精巧に造られています。
鱗は一つ一つ型が描かれ、色も魚さながらグラデーションを描くように彩られています。

Hirado Mermaid 10

Hirado Mermaid 4

Hirado Mermaid 12

さて、このお宝の出身はやはりイギリスでした。
場所はブリストル、ロンドンからウェールズに向かう列車が途中で止まる港町がブリストルです。
当然ながら、昔は海外からの品々がこのブリストル港に上げられ、ロンドンなどに列車で運ばれました。


Hirado Mermaid 13

この人魚、かわいい、というよりも、むしろコワイ・・・というコワカワ系です。
でも最初に手に取った時の感動は忘れません・・・

うわ!カワイイ!と思わずうなってしまいました(笑)。


Hirado Mermaid 3

でもね・・・夢に出てきそうなんですよ。

・・やっぱりコワイ・・?

まぁいいや。

とにもかくにも、ようこそ我が家へイラッシャイマシタ。

Hirado Mermaid 14

最後に、平戸ブラザーズと一緒にチーズ!


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Category: 平戸焼

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オールド香蘭社ティグ ~誰と飲む?~ 

早いものでもう9月ですね。

思いつきで7月ごろカウンターをつけてみたら、なんと2ヶ月弱で1000人の訪問者が!
ありがたいことです。
ブログを始めた頃はネタがもつか心配でしたが、やってみると
本人のズボラも手伝ってなかなか更新できず、コレクションは増えているのに
全然紹介できていないのが実情です。
(本人の思い込みですが)お宝が続々増えているので、これからも
頑張ってアップしていきたいと思います。

最近は、オールド香蘭社や深川にやや飽きてきた私ですが、良いものが出てくると
やっぱり欲しくなってしまいます。
良いものでなくても、この二つの有田焼の会社の歴史を物語るようなものが出てくると
これもまた欲しくなってしまいます。

これはアーカイブにいれとかなきゃなぁ、とか思って。
でも私は別に香蘭社や深川製磁とは全然関係ないんですけどね。
なぜ勝手にアーカイブを作っているんでしょうね・・・ナゾです。

今日紹介するのは、オールド香蘭社の(ある意味)珍品であるティグです。
ティグってなんなんでしょう?

まずは写真をご覧ください。

Tyg Koransha 1

これがティグです。

マグに似ていますね。
普通のマグは取っ手が一つですが、ティグは取っ手が三つ以上付いています。

Tyg Koransha 2

大きさは普通のマグの2倍から2.5倍くらいです。

Tyg Koransha 3

手描きで描かれているのは何の花でしょうか?
葵かな?でも花が丸いんですよね。
金の縁取りがあって、丁寧な仕事です。

Tyg Koransha 4

近影です。取っ手が三つあります。

Tyg Koransha 5

さてこの珍品ティグですが、イギリス発祥の複数で使用するマグあるいは酒器なのだそうです。
15世紀から17世紀にイギリスで使われたそうです。大英帝国が潤い始めたころですね。

ウィキペディアによると、もともとは熱いマグを渡す時に相手の手がやけどをしないように
ということですが、実はマグとしてだけでなく酒器としても使われたことから、
おそらく何人かで酒(エール酒やビールなど)を分け合って飲むのに使われていた、
というのが本当のところのようです。

なんだか想像がつきますね。
イギリスの料理の評判は現在でもあまり芳しくありませんが、
パブ文化は非常によく知られています。
ビールを楽しみながらフィッシュアンドチップスやジャケットポテトなどをつまむパブは
イギリスの社会になくてはならない交流の場です。
昔はそこで、こんな酒器が使われていたわけですね。

お酒を友達と飲む場所は、酒器を分かち合うことで単に酒を飲むだけでなく
相手との親交を深める場所だったのだと思わせます。

ティグはイギリス発祥ですが、17世紀の植民地時代にはアメリカでも使用されていたそうです。
17世紀の終わりには廃れ始めたようですが、19世紀後半にまた復活しました。
イギリス文化に根付いた酒器だったのでしょう。
ドイツや日本からのイギリスへの輸出陶磁器の製品にも名を連ねたというわけです。

三人で飲むとしたら、さしずめこんな感じでしょうか?

Tyg Koransha 6

Tyg Koransha 7

”む・・・もうあんまりはいってない・・・”(アルヴィン)

Tyg Koransha 8

”俺はそんなに飲んじゃいないぜ・・・”(ウサ吉)

Tyg Koransha 9

銘は青で香蘭社のマークです。明治後期大正時代ですね。

ちなみにイギリスでティグが生産されたのはスタッフォードシャーあたりだそうです。
イギリスの有名な陶郷ですね。

こんなものが造られた背景にはきっと、植民地の拡大によって繁栄した大英帝国の
豊かさがあったのだと思います。国の繁栄と貿易がもたらしたオリエント(中国)の豊かな文明が
イギリスなどのヨーロッパの文化に大きな影響を与えたのは想像に難くありません。

文明や文化というのはまさに環境条件によってもたらされるのだと改めて思い知らされます。


おまけ:

夏の里帰りの折に伊万里の大川内で絵付けした器が届きました。
こうやってみると、本当に絵付けって難しいですね。
左端がダンナ作の風鈴、真ん中が長女(7歳)作、右が不肖私の作品です。

Tyg Koransha 11

中秋の名月に、団子と月餅でも盛り付けましょうかね・・・・

下手な大人の猿真似よりも真ん中の子供の絵付けのほうがよっぽど良いものに見えますね。

子供のイノセンスは本当に彼らだけが持つ財産です・・・・

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Category: オールド香蘭社

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