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肥前陶磁器あれこれ~

オールド香蘭社、オールド深川、古伊万里、平戸焼などを集めています。

 

染付牡丹梅花蝶文皿 ~幕末・明治初期、深川栄左衛門の皿~ 

今回もまたまた深川栄左衛門ネタです。

1868年以降、藩の輸出貿易鑑札を得てあっという間に出島に出店した
深川栄左衛門でしたが、その後の肥前輸出貿易で見せた手腕は周知の通りです。

それまでのイギリス輸出を独占した田代家に取って代わり、欧米へ有田陶磁器を輸出
しながら、あちこちの万博に出展し最高賞を獲得したわけです。

前回燭台をお見せしましたが、以上のような理由から深川栄左衛門時代の輸出ものを
入手するのは昨今そう困難なことではありません。

EUやアメリカ経済が不況になってからは
みんな家のダイニングルームの飾り棚にある骨董らしきお宝から
おばあちゃんの家の屋根裏にあるわけのわからない古いものまで
次々と骨董屋やネットオークションに持ち出して売りさばく始末です。
喜ぶべきか、悲しむべきか・・・

さて輸出深川栄左衛門は手に入りますが、国内で販売されたものは
果たしてどんなものだったのか・・・というのが本日のテーマ(?)です。

3年ほど前長崎の骨董屋を訪れた時、件の花瓶染付牡丹花花瓶 を買ったところで
ある皿を見つけました。

遠くから一目見て、あっ!と声を上げたのはやっぱりなんか惹かれるものが
あったのでしょうか・・・

Fukagawa blue plate 1

牡丹と梅の花に、肥前蝶山所以の蝶を描き込んでいます。

白磁に映える、これぞ元祖・フカガワ・ブルー!

Fukagawa blue plate 7

近影です。
フラッシュ無しで撮ったので、部屋の照明のせいで黄色っぽくなっていますが
本物は白磁・呉須ともに一枚目の写真のような発色です。

Fukagawa blue plate 8

梅の香に誘われる蝶、なんとも詩的です。

Fukagawa blue plate 4

特筆すべきはやはりこの皿の形と用途です。
買った当初は全く違和感なく、皿・・・と思っていたのですが、
これはまさに現代の私達の食卓にある皿の形です。
いわゆる大き目のケーキ皿とでも言いましょうか。
洋風のメニュー、パスタやハンバーグなどをのせるときに出てくるあの手の皿ですね。

Fukagawa blue plate 3

あまりにも当たり前の皿の形だったので疑問すらわかなかったのですが、
よく考えるとこれって変です。

柴田コレクションの本を見ても一目瞭然、肥前陶磁器がこの手の皿を造ったのは
せいぜい元禄期の輸出伊万里芙蓉手の類です。

これは横から見るとさらに顕著です。

Fukagawa blue plate 6

このお皿、骨董屋の主人の話ではなんでも長崎の旧家、
曰く、”歴史の本に載るような名家”の蔵から出てきたそうです。

そうなると小曾根乾堂とかあの辺りの長崎の豪商でしょうか・・・

ちなみに小曾根氏は出島の南蛮貿易に係わっただけでなく
幕末期には佐賀藩の御用商人としても活躍したそうです。
(坂本龍馬をサポートしただけではありませんよ)
サガ・コネクションを匂わせますな。

このお皿、当初はセットで10枚そろっていたそうですが、
何しろ値段がそれなりなので、仕方なく一枚ずつ売ったら
あっという間に8枚売れたそうです。

私が最後の二枚を買いました。

問題はこの皿が西洋食器の形をしているということです。
西洋料理が日本のあちこちに普及したのは明治中期のことですが
もちろん一般家庭などに簡単に普及したわけではありません。

人々は文明開化、などと外では言いながらも家の中ではご飯や味噌汁、
煮物や魚の干物を食べていたわけです。
当然、明治時代以降の有田では相変わらず大型の鉢やなます椀を
沢山生産していました。

長崎は西洋料理が早くから食された土地柄です。
しかし長崎の場合、基本はちゃんぽん文化なので、
西洋料理といっても和華蘭などといった西洋・中華・和食の
ハイブリッドなものを食べていたようです。

すると、長崎で本当の西洋料理を食していたのはおそらく東・南山手に住む外国人貿易商
(グラバーやオルトなどですね)、そして彼らと商談を含む付き合いを重ねた長崎の豪商
ということになるのかもしれません。
このような西洋料理用の皿を10枚そろえていた、というのも
いかにもあちらの付き合いがあった人たちのように思えます。

それにしても、出島に出店するや否やこのような皿を受注し造るとは
深川栄左衛門、どんだけ商才があるのでしょう・・・

恐るべし。

Fukagawa blue plate 5

裏には深川製と銘が入っています。
最初これは深川製磁のものという触れ込みで購入しましたが、
その後深川製磁初期のものを集めるにしたがい、
これはさらに古いものであることを確信しました。

深川忠次時代の西洋食器と比べると、皿の薄さや陶土の違いによる白磁の質感などに
違いがあるように思います。
この皿はまだ時代も古いせいか、外見は西洋食器の形ですが全体は厚くて重たいです。
ちょうど幕末・明治初期の有田のなます椀などの器を西洋食器にしたような感じです。

西洋食器の製造は思ったより簡単なものではありませんでした。
香蘭社や深川製磁がその後、泉山陶石を使い西洋食器製造に力を注ぎますが
やがて薄手食器の開発に成功した瀬戸物(ノリタケなど)に遅れをとり始めることになります。


Fukagawa blue plate 2

このブログを始めた時にも書きましたが
私の骨董収集の元々の動機は
長崎で購入した染付牡丹花瓶の出所を知るためでした。

この旅はまだまだ続いています。

それにしても、この花瓶もまた幕末期のものにしては西洋仕様のモダンな形ですね。
日本の花瓶にはなかったタイプです。
この時代、この手の形の花瓶を造ったのは平戸焼しか知りません。


この花瓶、深川栄左衛門のものだと思うんですけどねぇ・・・・


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Category: 深川栄左衛門

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色絵窓絵牡丹花鳥文燭台 (深川栄左衛門と明治輸出陶磁器) 

今年のNHKドラマ、八重の桜もいよいよ明治時代へと話が移りそうですね。
この大河、まぁまぁ健闘していると思いますが、みなさんの感想はいかに??

これまでドラマの中で、主に長州・薩摩・土佐の維新の怪物たちが出てきましたね。

あれれ?佐賀・鍋島藩はあれだけ維新に貢献したのに
出てきたのはアームストロング砲だけでした・・・
このイマイチ影の薄いところが佐賀の悲しいところです。

さて維新の十傑には及びませんが、佐賀藩は幕末・明治にかけて
政治や経済の世界で多くの優れた人材を輩出しました。

有田が生んだ天才貿易商・深川栄左衛門ももちろんその一人です。
深川栄左衛門といえば、長崎出島で田代家(肥蝶山信甫)が英国への
輸出貿易権を独占していた頃、他の同業者とともに藩に直談判した人物です(1868年)。
当時一枚しか許されていなかった鍋島藩の輸出貿易の鑑札を10枚にまで増やさせ
明治時代以降の肥前陶磁器輸出貿易に大きく貢献しました。

今日紹介するのは深川栄左衛門時代の輸出ものである燭台です。
製造は大体1950~1970年頃だと思われます。

Candlestick 1

ペアで購入しました。

Candlestick 3

幕末肥前磁器によく見られるシダの絵付けですね。
ですが江戸時代後期に良く見られる赤地に金のシダではありません。

Candlestick 4

花の絵と・・・

Candlestick 5

鳥の絵が・・・(もうちょっとましな表現をしたいところですが・・・)

Candlestick 6

江戸後期に見られる窓絵です。
良い意匠だと思います。

Candlestick 7

まわりを朱で塗りこんでシダの模様を浮き上がらせています。
(カプチーノの模様でもありませんよ)

手練の技ですね。
今日ではお眼にかかれないと思います。

Candlestick 8

裏には、肥蝶山・深川造と書かれています。
香蘭社以前の深川栄左衛門のものです。
深川系では古いほうですが、以前アップした皿のほうが古いと思います。
http://micnoski.blog.fc2.com/blog-entry-3.html

同じ輸出ものですが、あちらはイギリスから出てきた初期のものです。
比べて、こちらはアメリカから出てきたので時代がちょっとだけ上がるようです。

二つを比べると完成度に差があります。

Candlestick 9

Candlestick 11

過去に一体どんな家庭のダイニングテーブルを飾ってきたのでしょうか?
ちゃんとロウの痕がついています。

Candlestick 12

今年は我が家も記念日には蝋燭を買って燭台に火を灯すことにしようかな。
でもこの燭台に長い蝋燭を立てたら怖いかも・・・


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Category: 深川栄左衛門

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白磁菊花盛飾皿(玉泉窯)~平戸焼の栄光と衰退~ 

記事内容の訂正について!!!(2017年5月追記)

以下の記事で、玉泉窯は倒産・廃業していると書きましたが、
実は福本さんのご長男がご家業を守り、その後も玉泉窯を継続されています。
誤った情報を載せたこと、お詫びいたします。
玉泉窯の営業継続、嬉しいニュースです!


玉泉窯という名前をご存知ですか?

長崎県佐世保市三川内にある元平戸御用窯の技術と伝統を受け継ぐ窯元です。
最後の当主である福本正則さんを入れて14代続いた、平戸焼のお家芸とも言える
透彫や染付の技術を優れた作品に残した窯でした。

今回里帰りの際、楽しみにしていた旅行の一つはこの玉泉窯に足を運ぶことでした。
しかし帰国間際になり玉泉窯が倒産したことを知りました。
当主の福本さんが数年前になくなった後、窯を継ぐ後継者がいなかったそうです。

三川内に限らず有田などでも陶磁器産業の後継者不足は深刻な問題です。
波佐見焼などがモダンなデザインのものを生産し、東京などに売り込む一方で
400年の歴史を誇る肥前磁器の伝統的技術は今や後継者を失いつつあり、
その存続が危ぶまれている状況です。

玉泉窯も福本さんご夫婦がご健在の折は皇室に献上していたそうですが、
後継者不在から今回会社の存続が難しくなり、そのストックは長崎県の骨董やを中心に
ものによっては中古品を扱う店にまで出回っているということでした。

なんということでしょう・・・

資本主義・自由経済主義が幅をきかせている時代です。
アメリカの推奨してきた大量生産・大量消費の風潮は私達の生活を便利にした反面
消費目的に合わず時間や手間をかけなければならないものは自然と淘汰されるように
姿を消しつつあります。

世が世ならお殿様に献上するようなものを造る会社も、今日世界のお殿様達が成金ばかりで
文化的価値を理解しないために消え去っていかなければならないのは全く残念なことです。
昔のように文化教養のあるお殿様がパトロンとなって優れたものを支えてくれる日は
いつかくるのでしょうか。

言説とともに存在する物質としての文化がこれからどうなってしまうのか心配です。

とまれ、玉泉窯。

玉泉窯倒産というニュースを聞き残念な気持ちがある一方で
コレクターとしてはその品物があちこちに出回っていると聞いては
いても立ってもいられません。

・・・が、しかし・・・

地団太を踏んでも日本帰国までまだ時間があります。
でもこんなことでは夜もおちおち眠れません。(←大げさ)

ということで、日本の実家の家族に無理を行って買い求めてもらいました。

本来私の家などには絶対に来ることがなかったであろう・・・

白磁菊花盛飾皿です。

Gyokusen Plate 047

ようこそいらっしゃいました。

この作品おそらく福本正則さんの奥様が造られた物と推察します。
菊の花が扇形の皿いっぱいに盛ってあり、白磁が呉須の藍に映えてなんとも美しいです。

花は一つ一つ造られています。当たり前ですね。
でも、昨今この当たり前に中々お目にかかれないのはつらいところです。

Gyokusen Plate 049
Gyokusen Plate 050
Gyokusen Plate 052

このお皿、惜しむらくは花びらに小さなカケがあります。
でも言われなければ気づかないほど小さいものですし
このせいでその美術的な価値がさがるとも思えません。

Gyokusen Plate 053
Gyokusen Plate 054

本当ならばどこかの博物館か美術館などにあってしかるべき物だと思うのですが
いろんな事情で我が家に来たことを考えると、これもなにかの縁かもしれません。

里帰りの折に、佐世保の三川内にある美術館に行ってきました。
嬉しいことに、玉泉窯さんの優れた作品が展示されていました。
ここの美術館が買い取ったのか、あるいは寄贈されたのかはわかりませんが
こんな時代の憂き目に合いながらも、素晴らしい作品があるべきところに
収まっているのを見るのは嬉しいことです。

Gyokusen Plate 058

栄光の三川内焼が後継者不足で衰退しつつあるのは残念なことです。
三川内の若い世代の人々にも、欧米を今なお魅了してやまない平戸焼の
素晴らしさを再発見して欲しいと思います。

そのためには、若い職人さんに世界を旅して外から日本を見て欲しいと思うのです。

自分の眼で自分の姿を見ることはできません。
自分の姿は他者の眼に映るものとしてしか、その全貌はわからないと思うのです。

肥前磁器の技術が世に誇るものとして欧米に知れ渡ったのは
職人さんたちが世界を相手にしていた頃でした。
その時のスピリットをどうか三川内の後継者の世代にも思い出して欲しいと思います。

Gyokusen Plate 055

さて、我が家にもいくつかミュージアムピースなるものがあります。
上は大英博物館所蔵のものから下は各窯元の古陶磁器館所蔵のものまで・・・

いつの日かこの白磁菊花盛飾皿も、しかるべきときにしかるべき場所に
他のものと一緒に収めてもらおうと思っています。

その日まで我が家で大切に預かりたいと思います。

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Category: 平戸焼

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伊万里大川内山 ~鍋島藩窯~ 

鍋島藩窯のあった秘窯、伊万里大川内山に行ってきました。
現在は旧鍋島藩窯公園として整備され、沢山の鍋島焼の技術を受け継ぐ窯元がひしめいています。
車では有田町からおよそ25分くらいでしょうか。

秘窯と呼ぶにふさわしい、山間に佇む美しい所です。

okawauchi 3

入り口には鍋島様式の美しい壷が・・・
欲しいですね~(笑)

okawauchi 2

屏風岩を背に、窯元が犇めき合っています。

okawauchi 4

色鍋島で知られる畑萬さん、魯山さん、藍鍋島の太一郎窯などなど・・・
有名なものでは、痴陶人のお店もあります。

okawauchi 5

この日はまだ6月末日で、そう暑くはありませんでした。
坂を上っていくと藩窯公園にたどり着きます。

今上天皇が皇太子の時にはご訪問されたこともあったそうです。

写真では不十分かもしれませんが、本当に本当に美しい所です。

どの窯元を訪れても、ため息がでるような物に触れることができます。
質の高さもあって値段の方もかなり高めですので、私などは見るだけですが・・・

骨董ファンならずとも、もし九州を旅行されるのであれば
有田だけでなく伊万里の大川内山を訪れることをお薦めします。
大満足の旅行になりますよ。

お腹がすいたら、伊万里牛を食べに行きましょう。

大川内山のすぐそば、田園地帯にある伊万里亭で食事をしました。

okawauchi 7

リーズナブルな値段でおいしい伊万里牛が食べられます。

okawauchi 8

器はすべて大川内山の窯元さんのものを・・・
藍鍋島の太一郎窯のものが多いです。
ここで器を見て、太一郎窯へゴー!というのはお約束でしょう・・・・
こういうプロモーションの仕方もありですね。

ちなみに伊万里牛のステーキがのっているお皿は太一郎窯作による
1670年頃の輸出古伊万里芙蓉手のリバイバル。
いいですね~。

okawauchi 9

デザートは山葡萄のゼリー。

okawauchi 10

コーヒーカップも素敵です。

鍋島藩窯公園の入り口に小さい博物館があります。
小さいながらも展示物は見ごたえあり。

絵付けが出来ると聞いてトライしてみました。

okawauchi 6



普段骨董を見ながらテが良いだの悪いだのと言っていますが
実際に絵付けをすると本当に難しいですね。

猿真似で鈴虫を描いてみましたが、全然駄目です・・・
出来上がっても一文にもなりそうにありません。

連れよりも早めに絵付けが出来たので、あまった時間にまかせて月を描き込みました。
これこそ蛇足、というものですね。
お恥ずかしい。

okawauchi 11

最後に、本日の戦利品は17世紀後期の輸出古伊万里の図柄を
モチーフにしたお皿です。

Nabeshima plate old imari 026

見覚えがありますか?

Nabeshima plate old imari 028

以前アップした輸出古伊万里の芙蓉手皿の見込みと同じ図柄でした。

Okawauchi 1


伊万里大川内山は何度でも行きたくなる場所です・・・

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Category: 旅行記

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幕末、明治肥前陶磁器の迷宮~平戸焼(?)色絵冠形香炉~ 

6月中旬から少し早い夏休みをとって、日本に里帰りしていました。
日本を離れたその日から、関東のみならず日本は大変な猛暑だそうです。
皆さん、くれぐれも熱中症には気をつけてください。

今回の里帰り、肥前陶磁器の窯元をあれこれ訪れました。
実はとある品物の出所を知りたくて、伊万里・有田・長崎近辺の
骨董商、輸出骨董ディーラー・鍋島焼の窯元の社長さん、陶磁器博物館の
学芸員の方々など総勢8名の方々にご意見を伺い、いろんな話を聞かせてもらいました。
収集を始めたばかりのビギナーとしては、大変良い勉強になりました。
この辺りのことや旅行記も含めて、そのうちブログでアップしたいと思います。

さて本日アップするのはこちら、平戸焼の色絵冠形香炉なるものです。

いろんな角度から写真を撮ってみましたので、まずは写真をごらんください。

hirado koro 5

前から見るとこんなです。

hirado koro 4

hirado koro 3

お尻はこんな・・・

hirado koro2

香炉なので、開けてみると・・・

hirado koro1

透かし彫りが見事です。

hirado koro 14
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香炉の足にも色絵が・・・なかなか凝っていますね。

hirado koro 11

さてこれは一体どこで造られたものなのでしょう?

ネットで検索すると、これに良く似たものが九谷焼や京焼にあります。
しかし残念ながら、九谷や京焼の透かし彫りの技術は、この香炉の細工には到底およびません。
陶土の性質のためか、精巧さに差が出てしまいます。

海外ではこの手の香炉はほとんど平戸焼として売られていますし、美術館でも
そのように説明されています。
さてその根拠とは一体何なのでしょう??

そのヒントは長崎歴史文化博物館にありました。

hirado koro nagasaki

この平戸焼の香炉と全く同じものを、NYの東アジア美術専門骨董老舗のフライングクレーンさんが所蔵しています。

私の香炉とよく似ていますが、博物館所蔵のものはおよそ倍の大きさです。
大きさも手伝って、透かし彫りの精巧さは全く見事です。

hirado koro 10

さて、こちらは私の香炉。
これも平戸なのでしょうか・・・

今回旅行中に出会った骨董関係の方々の9割はおそらく平戸焼であろう、といっておりますので
もともと三川内で造られたものに間違いはなさそうです。

hirado koro 9

でも問題は色絵なのです。
平戸焼というと染付けの繊細な図柄で定評がありますね。
明治時代以前色がついたものの主流は、オランダに輸出された卵殻手カップなどでした。
ですがこの手のものは日本人の美意識からすると、うーむ、という感じなんですねぇ。

明治時代以降の平戸焼には色がついたものがあります。しかし、こちらも茶色だとかベロ藍だとか
いまいち良い趣味とは言いがたいものがあります。

この香炉のおもしろさは、平戸焼特有の精巧な細工に有田や鍋島を思わせる美しい色がついているところです。

hirado koro 7

この香炉、おそらくもとは三川内で造られたものに有田で色をつけたものではないかと思われます。
このあたりのことの詳細に関しては歴史を紐解くしかありませんが、幕末期の平戸御用窯は松浦藩の庇護を
失いつつあり、かなり経営が苦しかったそうです。
明治時代に入り完全に藩の保護を失ってからは、有田のように民窯として会社を興し欧米に商品を
売り込む、という器用なシフトがなかなかできなかったようです。
しかしその技術には定評がありましたので、量産したストックを有田などに売り、
なんとか明治の荒波をしのいだのでした。

ちなみに、フィラデルフィアやセントルイス万博に出品した香蘭社や深川製磁も三川内のものに絵をつけて
欧米に良品を売り込んでいたようです。
このあたりのことは地理に明るくないとわかりづらいかもしれませんが、平戸焼の三川内、有田、波佐見は
みんな隣り合っているご近所さんなわけです。

しかしこうなると、幕末、明治時代の肥前陶磁器は生産地などの特定はかなり難しくなってきます。

長崎市の亀山焼で有名な某骨董屋さんのご主人の話ですが、幕末、明治以降はストックの行き来だけでなく、
陶磁器を造る陶土も針尾、泉山などを混ぜたため、なにがなんだかわからなくなっていたそうです。
平戸といえば、天草陶石を用いた白磁が有名ですが、幕末に造られたものによっては青みがかっていたり
呉須もいろいろ混ぜて使っていたので濁っていたり、一様には特定がしがたいということでした。

こうなるとこの時代の肥前陶磁器はほとんどカオスですね。
よほど特徴のはっきりしたものでない限り、君の名は・・・と尋ねてもラビリンスに迷い込むばかりです。

hirado koro 6

ちなみに欧米人にとってこの香炉、ナゾなのはその産地特定だけではありませんでした。

これはネットで落札したものですが、なんと出品者、これはイスの香炉(!)だと思ったようです。
曰く、もしイスでなければベビーカーの香炉かも・・・・ってそんなわけない!!!

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Category: 平戸焼

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