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肥前陶磁器あれこれ~

オールド香蘭社、オールド深川、古伊万里、平戸焼などを集めています。

 

ニッポンを応援する ~亀山焼・染付枇杷形皿~ 

祝!金メダル!

内村選手、男子体操個人総合優勝おめでとう~!

開会前まで、リオは一体ど~なるの~?と心配していましたが
フタを開ければ、なんとかちゃんとオリンピックになっている不思議。

しかも、ドーピングが(やっと)問題視されたため
今大会は薬物なしのクリーンな大会ですね。
薬物抜きの大会となると、メダルの分配もかなり公平(?)になった感あり。
突如メダルラッシュの日本!
このまま頑張ってほしいですね~!♪(/・ω・)/ ♪

さてオリンピックと言えば、娘の通うスイミングクラブは
オリンピック選手を輩出したそうで、当然みんな毎日オリンピックを
観ながらチーム・アメリカ(笑)を応援しているそうです。
我が家でも水泳を観戦していますが、なんとウチの娘は
アメリカ人の応援はそっちのけで毎日「ニッポンがんばれ~!!!」と
なぜかチーム・ジャパンを一生懸命応援しておりますヾ(・∀・)ノ

アメリカに住んでいても、アメリカと日本、両者激突となると
やっぱり日本を応援するのね・・・。

その昔、フランス人の指導教授に、フランス人のアイデンティティというのは、
フランスという土地に生まれ育っているということに起因するが、、
なぜ日本人やドイツ人はその土地でなく血統に起因するのか、と訊ねられました。
まぁ、その時はあれこれと歴史的、文化的、そして宗教的背景を論じたもの
でしたが、日本人であることの定義づけというものが
日本の風土だけでなく、その血統に基づくのは非常に興味深いですね。

片親が日本人でない場合、自分では日本人と思っていても
日本にやってくると外国人扱いされたり、日本に住んでいてすら
他者として扱われるのは、よく聞く話です。

日系アメリカ人と話していると、「僕も(←!)日本人ですよ」などと言われ
つい日本人の私としては、「うう~む・・・」と思ったりするのですが、
オリンピックで日本を一生懸命応援している我が家のチビ達を見ていると
「ああ~、あの人たちも小さいころからアメリカよりも日本を応援して
いたのかもなぁ・・・」と思ったりしました。

よくよく考えてみると、そもそも「自分は何者か?」という
問いの答えは、所詮他人でなく自分が決めるものであり
最終的には主体性(agency)の問題だと思うわけであります。

日本を愛し、応援しているのは日本に住む
日本人だけではないんですねぇ。
個人的にはありがたいことだと思います。

グローバリゼーションの反動で
どこの国でも偏狭な国家主義に偏っている今日この頃ですが
日本もアメリカも寛容なナショナリズムを目指してほしいものですね。

ともあれ、みんなでニッポンを応援するのだ~!
頑張れ!ニッポン!\(^o^)/\(^o^)/

さて内村選手は実は長崎の出身であります。

里帰りするたびに、私とダンナは長崎の諏訪町界隈をブラブラするのが
好きなんですが、諏訪町のニューヨーク堂(昭和なネーミング)は
甘党・内村選手の御用達(!)なのだそうです。
ここはいろいろと有名なお菓子がありますが、
長崎のローカル色があふれた枇杷アイスというのが
おすすめです。

枇杷というのは、もとは中国原産だそうで、
早くから中国人が住み着き国際都市であった長崎らしい
果物ではないかと思います。

内村選手にちなむわけではありませんが、
今日は件の染付枇杷形皿を紹介しましょう。

biwa 1

幕末・明治の頃のものだと思われます。
なかなか丁寧なつくりです。

ちゃんと枇杷の葉に虫食いがあったり・・・

biwa 3

枇杷の実と葉。

陽刻です。

biwa 2

まぁ、取り立てて騒ぐような皿ではありませんが
私的には、ちょっと興味深い皿なのです。

みなさんの中にもしかして、「あれ?この皿見たことあるよ」と
思った方がおられるかもしれません。
そういう方はかなりの肥前磁器オタクでしょう(笑)

実は嬉野の名匠、冨永源六窯の作品にこれと全く同じもの
(ただし枇杷に色がついています)があるのです。
皿の形や大きさ、デザイン、そして虫食いあとやそれぞれの枇杷の
大小までほぼ同じものです。

(源六窯、枇杷 皿でイメージを検索してみてください)

biwa 4

冨永源六は明治・大正時代に活躍した名陶で、有田ではなく
ひとつ山を越えた隣町である嬉野に窯を開きました。

明治に花開いた肥前磁器の窯の中でも、とりわけ高級感のある
質の高い作品を造り、名前そのものがブランド化した良窯でした。

嬉野というのは歴史ある温泉街ですが、有明海から荷揚げする港がある
塩田のすぐそばであり、昔はここからかの天草陶石が運ばれたそうです。

そのような地の利を鑑みると、嬉野の源六窯が有田の窯よりも
抜きん出て良いものを作ったのも納得です。

源六窯の作品を見ていつも思うのは、ここの作品の中には
(1)限りなく有田の名窯・香蘭社・深川製磁の作品に近いものが存在すること
(2)幕末の(輸出)亀山や平戸を思わせる作品があること、です。

(1)はなんとなくわかりますが、(2)についてはどうなのでしょう。

実はこの皿、銘が彫ってあります。

biwa 5

銘は、印刻で亀と記してあります。

九陶の銘款集にもある通り、亀山焼の銘は非常にたくさんあります。
この亀という刻印は残念ながら銘款集には掲載されてはいませんが、
同じく九陶の炭鉱王・高取氏のコレクションの本に掲載されている
亀山焼の猿の置物の裏に、この「亀」の刻印があるようです。

有田・三川内・鍋島(大川内)・嬉野・塩田などの窯の物には
亀のついた銘はありませんので、印刻「亀」は亀山であろうと推測できます。

ただ、以前にも書いたとおり、幕末の亀山は経営がかなり傾いており
全盛期の頃のように花呉須を使ったり、高級磁器を造ってはいなかったようで
かなり質が劣る雑器を数多く作っていたようです。ネットオークションでみられる
亀山はほとんどがこの類です。

長崎で呼ばれる「亀山焼を真似た有田焼」である「アリガメ」というのは
本当のところは、おそらく「有田を真似た質の悪い亀山焼」だったのでは
ないかと思います。この皿もそんな落ち目の亀山の作った雑器の一つだったのでしょう。

biwa 6

さて、嬉野の名陶・源六窯がどのように亀山焼とかかわっているのかは
謎ですが、この皿を見る限り無関係ではなさそうですね。
亀山焼は明治初期にはすでに無くなっていたのですが
窯が消えたからといって、陶工達が消えてしまうわけでは
ありません。
亀山焼を作った陶工は九州のあちこちに流れた、という話があり
これまで聞いた話だけでも、有田、平佐(鹿児島)、
大分(明治以降、大分の美術工芸に貢献した田能村竹田との関係です)、
そして福岡の須惠などに流れたということを聞いたことがあります。

19世紀(江戸、幕末)の欧州輸出品の染付の多くは有田の他に
嬉野の近くである塩田で作られる焼物と亀山焼であったと
書いているのは、かのソーム・ジェニンスですが、
このような記述を考慮しても、塩田の隣町である嬉野の窯が
亀山焼となんらかの関わりがあってもそうおかしくはありません。

こんなことを言うのも、実はこれ以外にもう一つ、
亀山焼と源六窯を結ぶ点があるのですが、
こちらはまた改めて、その疑惑(?)の器の紹介でもしながら
推理してみたいと思います。

biwa 7

それにしても、落ち目であっても亀山は亀山!
かの冨永源六が模してしまうような
抗いがたい魅力がある焼物です。
枇杷形皿というのも、なんとなく異国情緒があるように
思えますね。

ああ。。。また枇杷アイスを思い出してしまいました・・・

まぁ、とにもかくにも頑張れ、ニッポン。

枇杷アイスはないけれど、枇杷のお菓子を
いただきながら、遠い国から子供達と一緒に日本を応援したいと思います。

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Category: 亀山?

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推理する楽しみ (青磁・蝦蟇仙人香炉) 

素性のわからないものについては、できるだけ書きたくない・・・

だって、骨董を素性もわからないのに購入するなんて
成金趣味みたいでちょっとイタイではないですか・・?
それに素性のわからないものにお金をつかうなんて馬鹿げています。
そんなに無駄なお金とかないし・・・(´・Д・)」

でも・・・

素性がわかるものばっかりを集めるのは
これまたコレクターとしてはおもしろくありません。
骨董集めの楽しさって、変なものを買って、
「これはなんぞや?」とあれこれ考えるのが
楽しいわけだから。

骨董なんて、所詮は自己満足の域を出ないわけだしね、と
開き直りつつ、今日はちょっと素性の知れない変わったものを
紹介しましょう。

珍しい青磁の蝦蟇仙人の香炉です。

sage 1

青磁というと、有名どころでは鍋島、京焼などでしょうか。
置物・細工ものではありませんが、有田も青磁ものは
江戸中期から幕末の輸出ものまで造っておりました。

九谷、三田など他にも青磁をつくった窯はいくつもありますが、
これだけ精巧な細工物を作ったとなると、どこで造られたかという
疑問についてはかなり絞られてくると思います。

まずは頭部横面から。

ご覧ください、この出来栄え。
首の部分に窯割れがありますが、
大した細工です。
これだけ精巧に造られた青磁の置物は
めったにないと思います。

sage 3

さて、青磁の置物というと京焼がまず思い浮かぶ方もいらっしゃると思います。
青磁の大家、宮永東山ですね。

鍋島以外で、これだけの青磁の置物を造れるとなると
まず東山、そして同じく京焼の伝統を受け継ぐ横浜の
宮川香山でしょうか。

東山の青磁の置物は有名ですが、
精巧さという面からみると、この蝦蟇仙人とは
比較になりません。

青磁の置物というのは、
釉を全体にかけた場合、釉薬のせいで顔の細工がぼんやりするため
通常は顔や手など精巧さを強調したい部分は素焼き、
そして衣類などが青磁となります。

東山などの京焼は、この素焼きの部分の
細工が、土の性質のためか、それほど精巧ではありません。
同じ理由で、明治の天才・宮川香山の物も同様、
かの有名な鍾馗の置物をみても、顔の細工の精巧さが
イマイチなんですねぇ。

東山については、おそらくは技術の問題、
香山については、土の性質によるものだと推察されます。
素焼きの部分が赤いのも、土の性質でしょう。

sage 2

土のせいで精巧に造れないんだったら、最初から
比較にならないとつっこまれそうですが、
この作品の気になるところは、その造形の確かさです。

蝦蟇をかかげる仙人の顔、美術品のような
出来栄えだとおもいませんか?

顔に刻まれた深い皺、
髪の毛や眉毛も一本一本彫られています。
口の開け具合、歯の一本一本まで
精巧に造られています。

sage 4

正面。
この表情、圧倒されます。


sage 5

全体像。
横面から。

sage 6

後姿。

sage 7

青磁の置物ということに捉われると、この作品の出自が全く
わからなくなります。

でも、よく見るとこんなディテールが・・・

sage 8

蝦蟇仙人の袖の部分をわざわざ開けています。

sage 9

そして、この開いた口も内側は空洞になっています。

sage 10

ただの置物だと思っていたら、実は
内側は空洞、そして袖と口から空気が抜けるように細工してあります。

sage 11

そして、像の内側の空洞にもわざわざ釉薬がかかっていて、
「あ、香炉だったんだ!」と解かった訳であります。

さてここまで来ると、思いつくのは当然平戸焼ですね。

古唐津、古平戸には、寒山拾得像や蝦蟇仙人・鯉仙人などの細工物や香炉があります。
古平戸の場合、その多くは青磁でなく飴釉です。

まぁ、こんなにダラダラと書かなくても、肥前陶磁に詳しい方なら普通
パッと見て、「これ、平戸でしょ?」とわかると思います。
これだけ精巧な細工物、造形の確かさ、一見置物かと思いきや
実は香炉になっている、というひねりの効いたつくり。
正直、鍋島か平戸くらいしか作れません。

青磁の置物風の香炉なんていうものは、文化レベルの相当高い
土地柄でないとなかなか出てきません。
今日の平戸は田舎ですが、もとは山鹿流が栄えた文化都市だったわけです。
独自の茶道流派(鎮信流)などを育てた松浦藩は
書道具や茶道具の凝ったものを平戸焼の御用窯に
いくつも作らせました。

やきもののレベルの高さは、その窯を育てた藩の文化レベルの高さに
当然比例します。
需要がなければ、供給もないからです。

各都市の文化レベルというのは、恒久的なものではなく、
また単純な持続性をもとに捉えられるものではありません。
むしろある特定の時期に、経済的、政治的、財政的な要素が文化的要素と複雑に
絡み合って起こる現象によって引き起こされ、生まれる一時的なものだと思います。
一時性が継続してあたかも恒久的なものに見えることがあったとしても、ね( ̄^ ̄)ゞ

まぁ、そう考えると、文化レベルが常に高そうに見えるというだけで
京都のやきものか?などと考えるのはあまり賢いとは言えませぬ・・・(。>ω<。)ノ

閑話休題。

いよいよ結論ですが・・・

ではこれが平戸なのかというと、どうもそうでもなさそうです。

この置物、もうひとつひねりがあったんです。
なんと銘が入っていました。

sage 12

銘の二文字、読めますでしょうか?
一つは「亀」。
これははっきりとわかりますね。

sage 13

もう一つの文字を判読するのにちょっと時間がかかりました。

いろいろ調べてやっとのこと、この漢字どうやら「埔」ということまで
わかりました。

でもこの漢字、常用漢字ではないんですよね。

sage 14

ある日のことですが、突然 「Eureka!!!」と叫んでしまいました。

そうだったのか!!!

「埔」は繁体字だったことに(やっと)気づきました。
つまり、「埔」は「浦」だったわけです。

亀山焼の窯があったのは、長崎市伊良林。
今も瓊浦高校という学校があるとおり、昔ここは
瓊浦(けいほ)と呼ばれていました。

亀埔→亀山瓊浦か、あるいは亀山大浦(小曾根一族のすむ大浦)だと推察されます。

亀山焼というと、一般的に「文人趣味」を反映したやきものと言われますが、
実際の亀山焼の全体像はそれよりももっと複雑だったようです。
記録によると、亀山焼は天竜寺青磁に似た作品ををつくったこともあったそうです。
また、案外知られていませんが、亀山焼は平戸焼と非常によく似た作風の置物も
造っていました。
高取氏寄贈の猿の置物や大黒の置物など、普通に考えると平戸焼だと思うものばかりですが
実際は長崎の亀山焼きでした。

亀山焼が廃窯したのは慶応元年のことですが、その後も小曾根一族によって
亀山焼は「小曾根焼」と名前を変えて、暫く継続して造られました。
この小曾根焼にも、もちろん平戸焼に非常によく似た置物系の作品があります。

この作品、銘が亀浦となっているところからも、亀山焼そのものではなく、
たぶん亀山焼の伝統を受け継いで造られたものではないかと思います。
イギリス人から購入。輸出品、あるいは贈答品だったのでしょう。

ちなみに、亀山焼が平戸に影響を受けているのは当然のこと。
日本陶磁器史論によると、亀山焼の創生は出島からの平戸焼や
有田焼の輸出による貿易利を羨み、始まった事業だと書かれてあります。
まぁ、長崎商人が貿易で利を貪る平戸や鍋島藩を指をくわえて見ていたはずもありません。

sage 15

購入してからほぼ一年が過ぎましたが、
その間あれこれ思いを巡らせ、ようやくブログで紹介することにしました。

亀山焼の系譜についての考察、おもしろいですね。
まだまだわからないことだらけの亀山焼です( ̄^ ̄)ゞ

あ~、サントリー文化財団、研究費だしてくれないかなぁ・・・・
亀山焼、幕末の文化経済記号として研究・分析しまっせ・・・・

(^∇^)ノ なんつって・・



「お前の推論、まちがっとるんじゃぁ~」という方、
是非ご意見お聞かせくださいね。
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Category: 亀山?

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謎の銘、松茂堂竹芭製(輸出亀山焼) 

長崎の亀山焼について、皆さんはどれだけご存知でしょうか。
亀山焼きは、19世紀初頭に忽然と現われ、60年後に明治時代の到来と共に消えてしまった
幻のやきものです。

(以下、亀山焼きについての考察です。長いので興味のない方はご遠慮ください・・)

kameyama 1

以下、亀山窯の歴史概要。

創生期(1806~)  オランダ船に積む甕(長崎で降ろした荷の代わりに水瓶を積んだ)を
              長崎市伊良林で焼き始める
              ちなみに、その甕の陶片などは見つかっていないそうです。

初期 (1814年頃)  複数の創始者により、長崎奉行の奨励を受け、磁器を焼き始める。
              有田より職人を呼び、天草陶石を使用して高級磁器を焼く。
              他藩で入手できない中国からの花呉須も輸入し、使用。

    (1819年)    創始者の一人、大神甚五平による単独経営。           
              多くの高級磁器を生産したが、やがて採算が取れず、廃窯。

中期 (1860年)    長崎奉行・岡部駿河守により、再興。ほどなく廃窯。

後期 (1865年)    長崎の豪商・小曾根乾堂により、再窯。
               明治維新後、廃業。

kameyama 3

歴史は以上にざっと述べたような感じです。

いろいろと謎の多い亀山焼ですが、存在した時間がわずか60年足らずだったにもかかわらず、
名陶と呼ぶにふさわしい焼物を生み出しました。

当時日本で一番華やかな文化を謳歌していた長崎の土地には、ありとあらゆる文化人が集い
学び、遊んだわけですが、この多文化共同体では、中国風の南画がとりわけ流行りました。
そのため、長崎に逗留していた三浦梧門、木下逸雲、そして豊後の田能村竹田などの南画家が
亀山焼(初期のころから)に絵付けをしたそうです。

なんという贅沢!

木下逸雲などは、銘を残していますが、実はこの初期に絵付けされたものには
銘がないものが多いのだそうです。

kameyama 4

さて、当時の長崎の多文化的な性質を反映して、
亀山焼には、所謂文人画の絵付けが多いと言われています。

この特徴のせいか、長崎で亀山焼きを扱う骨董商の人たちの中には、
”亀山焼きは国内向けに造られたもので、献上手のような高級磁器の作成を目的とした”
と主張する人もいるようです。

でも、その一方で、”亀山焼きは元々輸出用に造られたものである”と仰る方も
いるようです。

どっちが本当なのでしょうか?

kameyama 5

おそらく、輸出用に始めたものの、うまくいかずに
国内向けに生産するようになった、というのが本当のところではないでしょうか。

19世紀初期、といえば、日本沿岸には外国船が出没し、
江戸の鎖国政策が揺らぎ始め、日本人は外国を意識するようになった時期です。
江戸幕府は財政面でも衰弱し始め、加えて天災なども次々と起こり、
その求心力は低下するばかりでした。

財政難にあえぐ諸藩を尻目に、海外への唯一の窓口であった天領の長崎では、
相変わらず貿易による利益を上げていましたが、そんな長崎奉行の目に留まったのは
当時出島や長崎湾岸を警護し、その見返りにヨーロッパなどに磁器を輸出し外貨を稼いでいた
鍋島藩や平戸・松浦藩でした。

昨今のドラマなどで、明治維新は長州と薩摩がやったように描かれていますが
鍋島閑叟が備えた佐賀藩のアームストロング砲が、戊辰戦争で
大いに活躍したのは有名な話です。

その佐賀藩の最新軍事技術は、長崎貿易により外貨を稼いだ賜物であったそうですが
貿易で莫大な益をあげていた佐賀藩や久富氏の活躍を、果たして長崎奉行所が
指をくわえて見ていたのかは疑問です。

kameyama 8

ここで、初期に長崎奉行の奨励により、長崎の伊良林で贅沢な原料を揃え亀山焼を焼いた、という
記述がすんなりと理解できるように思います。

佐賀や平戸がやきもので莫大な利益をあげるのを見て、長崎奉行もその利益のピンはねより
高級磁器を造って輸出しよう、と思ったのは理屈としては当然のことです。

磁器を焼くための職人を、有田や長与、平戸、波佐見などから呼び込み、天草陶石をつかい
そして、極めつけは中国の花呉須を用いて、輸出用食器をオランダやイギリス、そして中国に輸出したわけです。

kameyama 6

ここまで読んで、「あれ?でもそれってアンタの推量でしょう?」というツッコミが・・・
(空耳かな?)

いえいえ、そうじゃありません。

実は、19世紀にイギリス人によって書かれた日本陶磁器についての本には
亀山焼きのことがすでに述べられています。

James Lord Bowesは、外国人として初めて、明治天皇に領事としての地位を賜った
リバプール出身の親日家のイギリス人ですが、彼は日本の美術工芸品の収集に
情熱を傾けた人でもありました。

その彼が19世紀後半に書いた日本磁器についての著書に、優れた肥前陶磁器として
三川内、有田以外に、大川内山(鍋島藩窯)と長崎の亀山焼きを挙げています。
つまり、19世紀のイギリスでは、輸出亀山焼きはすでに知られた存在だったわけです。
ボウズ氏によると、亀山焼は「中国磁器の影響を強く受けている」のだそうです。

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亀山焼きのおもしろさは、この唐子の皿にせよ文人画にせよ、
中国人が見たときに、「?あれ?これ中国のかな?いや、ちがうかな?」と、
一瞬思わせる中国風なのに日本的なハイブリッドさだと思います。

この皿を見たとき、我が家のお宝ハンターも、

「あれ?この皿変だなぁ。中国の染付によく似てるけど、なんか違う・・」

と、妙な面持ちでありました。
しつこく銘を調べろとせっつくので
調べてみたら、亀山だったというわけです。

その後亀山ハンターになった彼ですが、亀山を探す時は
以上のような「妙なフィーリング」に頼ると、結構見つかる、ということでした。

亀山焼きが中国の影響を強く受けている理由はおそらく以下の二つではないでしょうか。
まず、長崎の文化そのものが中国の文化を受けていて、それが
焼物の絵付けに反映されたこと。

もう一つは、唐人の多かった長崎では、19世紀における清国内で
内乱やイギリスとのアヘン戦争などで国が荒廃している様子が随時
知らされていたためではないかと思います。

そう考えると、輸出亀山が中国の磁器を模して造られた、というのは道理にかないます。
穴が開いている磁器の国際市場に割り込もう、という考えですね。

kameyama 9

輸出亀山についてのおもしろい記述を、Soame Jenynsの Japanese Porcelain からも一つ。
Soame Jenynsによると、

「19世紀のオランダへの輸出染付の多くは、亀山、波佐見、塩田(志田)から」なのだそうです。

もちろん、有田の蔵春亭を除いては、でしょうけど。

kameyama 10

さて、19世紀に亀山焼きがヨーロッパに輸出されていた、というのは
イギリス人の記述からもわかるのですが、この辺りで
亀山焼きと有田とのからみについて、もう少し考察してみます。

この皿の銘、松茂堂竹芭製は、実は先に述べたJames Lord Bowesの著書に
二度出てきます。

Japanese Marks and Seals (1882年初版)では、松茂堂竹芭製は有田のものだと
書かれています。そして、1890年に書かれたJapanese Pottery では、なんとこの皿のことが
銘とともに記されています。

Plate of porcelain, on which is painted in deep blue,, a group of seven Chinese boys
engaged in sport and study. Modern.

ボウズ氏は、有田の皿だと思ったようですが、呉須の発色が
印象に残ったのでしょう。記録に、「深い青」という表現をしています。

さて、ボウズ氏がこの皿が有田と思ったのにはわけがあります。
実は、松茂堂竹芭製の銘は、蔵春亭や肥蝶山信甫が輸出した色絵のものと
酷似した輸出物(主に皿やカップ・ソーサーなど)にも見られるんです。

私も実は色絵の皿を一つ持っていますが、銘は松茂堂竹芭製。
でも、幕末の輸出有田に詳しい人なら、一目で、「輸出有田」にも
同じ職人が絵付けしたものがあることに気づくはずです。

海外のディーラーの中には、時々「松茂堂竹芭製」を肥蝶山信甫や
蔵春亭のものとして販売している場合もあるくらいです。

さらに、実は私はこれとまったく同じ絵付け(染付唐子)のテュリーンを二組持っています。
まったく同じ絵付けですが、呉須が違います。「あ、幕末の有田だ」と一目で思わせるような
くすんだ発色の呉須を使用しており、銘はありません。

思うに、松茂堂竹芭製というのは、有田の絵付け職人で、おそらく亀山や有田の
輸出物を手がけた集団だったのではないか、と思います。
個人なのか集団かはわかりませんが、松茂堂竹芭製と銘打った皿の絵付けの
レベルは、この皿のようによく描けているものから、そうでないものまで多々あり、
個人で絵付けした、とは考えにくいものがあります。

おそらくは、長崎あたりに駐屯して、亀山や有田に
オランダ輸出向けの唐物的なものから、いかにもエキゾチックな
サムライやゲイシャの絵を描いていたのではないかと思います。

この推論は、亀山焼き誕生に有田が深く関わっていたことを考えると
そうおかしなものでもありません。
そもそも、長崎奉行は鍋島藩に有田を輸出させる便宜をはかっていたわけ
ですから、亀山焼きを奨励する時に、鍋島藩に技術の援助を要請したのは
当然のことでしょう。

「亀山焼きは長崎独自のものである」というのは
どうやら神話のようですね。

kameyama 13

最後に、なぜ亀山焼きは輸出物に自分のブランド名を書かずに
松茂堂竹芭製、などという銘をつけたのでしょう?

いかにも中国風の銘をつけたかった、というのも
理由の一つでしょうけど、一番の理由は
その輸出先にありました。

実は亀山焼きはオランダやイギリスのみならず、中国にも
輸出されていました。
そして、亀山、という銘は、中国人からみると
「うすのろやま」みたいな意味があり、不評だったからなのだとか。

相方も、「亀山焼き?うーむ。そんな名前は中国では馬鹿馬鹿しくて売れないね」と
言っていましたので、よっぽど不評だったのでしょう・・・・。

ちなみに、このお皿、もちろんチャイナとしてイギリスで売られていました。
購入先は、なんとリバプール!

ボウズ氏は、私設の伊万里の美術館をリバプールに持っていたそうですが
彼の死後は、その収集された品々はすべて散り散りに売られてしまったのだそうです。

このお皿、もしかしたらボウズ氏が眺めた皿だったのかなぁ?などと
うっとりと妄想したりするのも、結構楽しいですね。


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Category: 亀山?

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一富士二鷹三茄子(後編) 

あっというまに2月の後半に入りました。
この間新春のご挨拶をば・・・と思って丁子風炉の記事を半分書いたところでした。
後編を書かないと、と思ってあせっていたらあっという間に2月になってしまいました。
新春の誓いはどこへやら・・・・面目ない・・・。うううう。

一月の下旬からやたら忙しくてPCを開けるのは仕事の時だけ、というトンデモな状態でした。
やれやれ・・・このブログに来てくださった方には本当に申し訳ないです。

言い訳はこのくらいにして、前回の続きをします。

Clove burner 1

こちらが件の、謎の丁子風炉(香炉)です。

前回のブログにも書いたとおり、丁子風炉(香炉)は、二重構造になっています。
上の段に丁子をいれて、下の段に火を入れ、丁子を煎じることで香気を発散させるのだそうです。

ということは、火を下段に入れることが前提のつくりになっているというわけですね。

この香炉(風炉)の只者でないところは、この火を入れることを計算した
透かし彫りの仕掛けにあります。

火を入れてみましょう・・・

Clove burner 11

火をいれると、透かし彫りの富士山がまるで燃えているようです。

そして・・・なんと、なんと・・・!!!
裏の透かし彫りの雲が背面の壁に映し出される、という仕掛けが。

Clove burner 2

炎が揺れると、映し出された雲もゆらゆらと揺れるわけです。
なんとも粋な仕掛けだと思いませんか?

Clove burner 3

最初に火を入れたときはビックリしました。

Clove burner 4

前回書いたように、この香炉の造形や手描きの質の高さから、
すでに只者ではない雰囲気が十分伺えるのですが
その本領を発揮するのは、実は火を入れてからこの仕掛けの妙を
目の当たりにする時なのです。

Clove burner 5

では、ひっくり返してみましょう。

Clove burner 10

雲が燃えているようです。

Clove burner 6

正面に雲がくると、背面に富士山が来ますね。
背面の壁に、富士山と朝日が映る仕掛けになります。

Clove burner 8

さて、この香炉ですが、先日レポートした夏のヒアリングに続いて
この冬も長崎でさらに二人の方に話を聞きました。
お二人とも亀山焼のスペシャリストです。

Clove burner 8

AさんーN市で有名な某骨董屋さんの紹介でお話を聞くことができました。
ご本人はディーラーではなく、亀山焼と平戸焼のコレクターだそうです。
趣味が高じて、亀山焼関連の文書や本を読まれるそうで、骨董屋さんからも
お墨付きの、亀山なら見るだけでわかる、というスゴイ方なのだそうです。
ご自分で所蔵されている亀山焼を時々美術館に貸し出すことがある、という
コレクターさんです。余談ですが、脂ぎったところのない、物静かな紳士でした。

これは一体なんでしょう?
こんなものは初めてみました。亀山かどうかはわかりませんが、こういう凝った造りの亀山焼は
みたことがありません。可能性としては平戸でしょうか?
これを亀山といわれると抵抗がありますが・・・


BさんーN市のN川の骨董街でハイクラス向け(?)の骨董・アンティークの
お店を営んでおられますが、お店のほうはどうも趣味のようです。
亀山焼のよいものを扱うようで、この方もお手持ちの亀山を美術館に入れたりすることが
あるのだそうです。若くて頭の良いデキるビジネスマンという感じですが、
脂ぎった感じはまったくなく、これまた立派なイケメンの紳士でした。
英語がお上手なので、通訳無しでお話を聞くことができました。

これはめずらしいですね。
こんなものは見たことがありません。
亀山では無いと思います。というのも、亀山焼でこんな凝った造りのものは
みたことがないんですよね。
珍しいものには間違いないと思います。

Clove burner 9

さて、謎が謎をよぶ丁子風炉(香炉)。
一体これはだれがどんな目的で作ったのでしょうか?

その答えはまだ出ていません。

しかし今のところヒントがあります。

有田・伊万里・鍋島の人たちにはこれが亀山焼に見えるということです。
おもしろいのは、この方たちはもともとは骨董のディーラーではなく
やきものを生産・販売する人たちです。

生産者なので、当然呉須の発色には並々ならぬ知識と拘りがあると思います。
なんといっても、呉須の発色によって作品の質が大きく変わるわけですから。
その彼らが口をそろえて、この香炉の呉須は有田・伊万里・鍋島の物とは
明らかに違うというわけです。

私もその意見には全く同感です。

この丁子香炉に使用されている呉須は幕末の有田・伊万里・鍋島のものとは明らかに違います。
元禄期の呉須でもありません。
そしてさらにいうなら、こんな呉須を使った日本の磁器をみたことは
ほとんどありません。

こんな含みを持たせて書くのにはちょっと訳があるんです。
実はこういう澄んだ鮮やかな呉須を使った皿を過去に見たことがあります。
清時代のチャイナでした。

そして、いま一度、同じような発色をする呉須を使った皿を最近手に入れました。
このお皿は日本製なのですが、これまた謎の多い物体Xなのです。
この話題はまた近日中に・・・・

さて、最後になりましたが、ここで気になるのは
この香炉は亀山ではない、という大方の亀山通の意見です。

亀山焼の専門の方に言わせると、この香炉が亀山ではない理由は概ね

1.こんな凝った造形の亀山焼をみたことがない
2.亀山には凝った造形の物は造れない
3.染付山水は文人画風ではあるが、香炉の下段の単純化された瓔珞文との
組み合わせは見たことが無い

4.これが亀山だとしたら大変なことになる
(美術館でもそうお目にかかれないようなお宝がなぜこんな素人の手にある?)

というものです。

このあたりのご意見は尤もですが、このあたりも亀山焼というものが
一筋縄ではいかない、謎に包まれた焼き物であることを示しています。

亀山焼には、本当にこのような凝った造形は無理なのでしょうか?

瓔珞文といえば平戸焼が有名ですが、瓔珞文と文人画の組み合わせは
亀山では本当にありえないのでしょうか?

亀山焼をサポートした長崎奉行所のある当時の長崎はこのような美術工芸品を
造る文化基盤があったのでしょうか?

1800年頃、突如長崎の伊良林に現われた亀山の窯。
もとはオランダ船が輸出荷を長崎に下ろしてオランダへ戻る際に
船のバランスを保つための、水を入れる甕を焼いたのが始まりだったそうです。

その亀山焼はおよそ60年間ほど続き、突然姿を消しました。
四期に分かれる亀山焼ですが、その全貌は謎に包まれています。
今日、日本で見かけるミュージアムピースの多くは、小曾根乾堂が亀山焼の
再興を果たした第三期、幕末のものが多いようです。

しかし、実は18世紀に書かれたイギリスの陶磁器の本には既に
亀山焼が当時の日本製磁器の最高峰であったことが
記されているのです。その時代は、亀山焼の全盛期といわれる第二期、
1820-1830年頃のものです。

なぜイギリス人は亀山焼のことを知っていたのでしょう?
その謎を解く鍵は、亀山の興りとその目的市場にあるように思えます。

実はボチボチ勝手にリサーチを始めたので
このあたりのことを考慮しながら、今後ちょくちょく亀山焼について
思うところを書いていきたいと思います。

とりあえず、今回は謎の丁子風炉を通して、肥前磁器の秘密の窓口を
覗いてみました。

次回は、軽~くデミタスカップのコレクションを紹介したいと思います。

亀山焼についてのご意見などございましたら、お知らせくださいませ。


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Category: 亀山?

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一富士二鷹三茄子(前編) ~染付山水富士山透彫丁子香炉(風炉)~ 

明けましておめでとうございます。

このブログを初めて早9ヶ月が経ちました。
記事を読んでくださったり、コメントをしてくださる皆様に本当に感謝です。
今年は、駿馬のように(?)速く記事を更新していきたいな、と思っております。
(といいつつ、新春の挨拶が今日に至るとは・・・・)
いや・・・本当ですよ・・・

今年初めての記事なので、新春にちなんだものを紹介したいと思います。
生憎、午年にちなんだ骨董は持っていませんが、正月仕様と思われる
めでたい香炉を紹介したいと思います。

富士山の透かし彫りの入った染付山水の丁子香炉(風炉)です。
ちなみにこれはMy best item of all timeでごじゃる。


clove burner 1

さて、皆様は丁子香炉というのをご存知でしょうか?
この香炉は見てのとおり、30センチほどの高さのある大型です。
茶釜形の香炉は二層になっていて、下の段に火を入れて
上の段の丁子(クローブ)を焚き染めるようになっています。
おそらくクローブそのものを焚くのではなく、エッセンシャルオイルのようなものを
焚いたと思われます。

昨今は高級料亭の御手洗などににおい消しとして置かれる事もあるようですが
丁子香炉の用途はその時代とものによるようです。

スパイスの一種であるクローブ(丁子)は江戸時代に日本に広まったそうです。
長崎奉行の指導のもとオランダの通詞がその造り方を学んだというこの丁子油は
その後次第に貴重品として重宝されるようになったそうです。
丁子香炉そのものは貴人のために造られたそうですが
骨董として見かけることはあまりないと思います。

私が知る限り海外では、NYのメトロポリタン美術館が薩摩焼と平戸焼の
丁子香炉を所有しています。また、鍋島のお姫様が前田家に興し入れの際に
立派な丁子香炉を所持していたと聞いています。

clover burner 2

この丁子香炉、面白いのはそのモチーフです。
タイトルにも書きましたが、なんと一富士二鷹三茄子なんですよ。

まずは透かし彫りの富士山と朝日。

clove burner 3

染付山水の絵付けの見事さときたら・・・

clover burner 4

茶釜の取っ手は鷹の爪になっています。

clove burner 6

近影です。

clove burner 21
clove burner 19

釜の部分にも山水画が・・・

clove burner 5

香炉の脚の部分はなんと茄子の形です。

ナスですよ、ナス!
めでたいなぁ。

clove burner 17

表には富士山と朝日の透かし彫りが施してありますが、その裏側には
雲の透かし彫りがあります。

なかなか凝ったつくりになっています。

clove burner 8

興味深いのはモチーフだけではありません。

この茶釜形香炉のデザインも凝っていると思いませんか?
釜の下の半分は瓔珞文あるいは輪宝文に染付雲ですが、
非常にスタイライズされていると思います。

clove burner 9

その下部とは全く対照的な染付山水の手の見事なこと。
こんな山水は見たことがありません。

平戸焼の上手に山水画のものがありますが、この山水には到底及びません。
どこがどうとは言いにくいのですが、例えて言うなら平戸焼の山水は職人の手によるものです。
それに対して、こちらの山水はまるで画家が絵筆を取って描いた様な感じです。
圧倒されるような美しい画をみているような錯覚におちるこの山水はどうしても
職人が描いた物とは思えません。

clove burner 11

最初この香炉を見たときは実はてっきり中国の物だと思いました。
絵付けの素晴らしさのせいでしょうけど。

もう一つ、唐物だと思った理由は、呉須の色です。
平戸焼でも有田でも見た事のない、独特の深く澄んだ色です。

clove burner 12

問題はこの香炉がどこで造られたか、ということです。

実はこの丁子香炉、ナゾの物体Xなのです。

呉須の独特の色、高い技術を要する造形、山水画の出来などを考えると
どうしてもこの香炉、只者ではないように思えてなりません。

clove burner 13

どうしても気になるので、昨年の夏とこの冬の里帰りの折に、
この香炉の写真をいろんな人に見せてプロのご意見を伺いました。

長くなりますが、覚書も兼ねて以下に要約しておきます。

1.N市の某有名観光地近くの骨董やさん

これはたぶん瀬戸か平戸だと思う。時代はおそらく新しい、昭和時代くらいのもの。
その理由は、一富士二鷹三茄子というのは昭和時代に入ってからのものであるからだ。

備考:一富士二鷹三茄子は江戸時代には既にあった言葉である。
徳川家康にまつわる逸話からきている。

clove burner 14

2.旧鍋島藩窯のある大川内山の色鍋島ものを造る窯の社長さん。

丁子香炉を見たのは初めてである。実物を見ないとなんともいえないが
呉須の発色は長崎の亀山焼によく似ている。
有田、鍋島ではない。

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3.N市の骨董街である中〇川近辺の骨董兼中古品やさん。

これは便所のにおい消しだ。なんということはない。(ウッ!!!)

4.N市で一番古い商店街に店を戦前から構える有名な骨董屋さん

これはおトイレのにおい消し。でも立派なものなのでなにか謂れがあるのかも・・・
亀山にも見えるけど、これがもし亀山なら大変なことだ。

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5.有田の某陶磁器会社役員及び骨董ディラー。
(80年代に海外から明治有田の大作を買い戻して美術館に収めた方です。)

これが便所の香炉だと?誰が言ったのか知らないがとんでもないことだ。
これは丁子香炉というもので貴人が所有するものだ。
実物をみないとなんとも言えないが、呉須の色からすると
亀山だと思う。素晴らしいものなので大切に扱いなさい。
 
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6.N市にある良品の亀山焼を所有・販売する骨董屋さん。

これは絶対に亀山焼ではない。この距離(1メートル)からでもわかる。
だいたい亀山にこんな凝った作品は造れない。透かし彫りなどをする高等な技術は亀山にはない。
これは平戸か或いは有田か、瀬戸物という可能性もあるが亀山では絶対にない。
これがもし亀山だったら大変なことになる。

備考:亀山焼には透かし彫りをした作品は存在する。(天草陶石使用)

7.N県立博物館の学芸員(この博物館の亀山焼のコレクションは日本随一である。)

自分は絵画の専門であり、陶磁器の専門ではないが、これはなるほど亀山焼を
思わせる文人画風の絵付けのように見える。但し、亀山焼でこういう凝った造形のものは
まだ我々は見たことがないので、なんとも言えない。しかしながら、それはあくまで先入観であり
我々がまだ亀山焼の全貌を知らないだけなのかもしれない。

8.S県立の陶磁器博物館(柴田コレクションで有名です)の学芸員

実物を見ていないのでなんともいえないが、これは長崎の亀山焼に見える。
そうでなければ瀬戸か。有田ではないと思う。非常に珍しい作品である。

clove burner 7

さて、これが昨年2013年夏のヒヤリング(!)の成果です。
どうですか?

有田・鍋島はこれは亀山だといい、亀山を知るN市の人々はこれは有田だと言います。
なかなか複雑ですね。

まさにラビリンスに迷い込んだような謎で包まれたこの香炉。
一体、どこで誰のために作られたものなのでしょう?

購入地は、イギリスの大学都市ケンブリッジの近くの町です。
このあたりも興味深いところです。

さて、新春はまずこのナゾの物体の考察から始めたいと思います。

後編に続きます。

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Category: 亀山?

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