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肥前陶磁器あれこれ~

オールド香蘭社、オールド深川、古伊万里、平戸焼などを集めています。

 

嬉野の名陶、源六焼 

明治有田超絶の美、という本が九陶から販売されているそうで、
昨年末里帰りした際に早速購入しようとしたら、すでに売り切れていました。
残念!(つД`)ノ

明治の有田磁器の完成度の高さについては
今更説明するまでもありません。
有田の香蘭社、深川製磁、精磁会社など、文明開化の明治j時代に
大輪の華をいくつも添えました。

さて、明治の磁器の先鋒というのは当然有田と
瀬戸ですが、実は有田にほど近い嬉野に
大変な名陶があったことをご存知でしょうか?

今日は、先日手に入れた嬉野の名窯である富永源六の珍しい皿を紹介しましょう。

ど~だ!(^∇^)

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長崎街道の途中にある嬉野は有名な温泉宿場町です。
シーボルトなどが遊んだ温泉地として有名ですが、
実は島津藩が江戸ー鹿児島間を往復する際に定宿として利用し
栄えた街でもあります。嬉野の有名な宿に島津藩の
〇に十文字の紋が入っているのはこのためです。

その嬉野市ですが、地理的に非常に興味深い場所です。
嬉野は波佐見、有田、武雄、三川内などと距離的に非常に近く、
高級磁器の製造に必要な天草陶石を加工する塩田からは
もう目と鼻の先なんです。

このためかどうかは謎ですが、この近辺では
明治よりずいぶん前、17世紀後半には既に高級磁器が
造られた歴史があったようです。
(不動山皿屋谷など)

以前、亀山焼を紹介したときにも述べましたが
1820-1860年頃の輸出磁器は有田以外では
亀山や塩田からのものだったとの記述がイギリスにあります。
また、こちらでも紹介しましたが
亀山焼、鍋島藩窯、そして源六焼には明治維新以降になんらかの
関りがあったようで、このあたりも非常に興味をそそられます。

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さて、件の源六焼は明治時代、突如彗星の如く現れ
あれよあれよというまに、有田の名窯と肩を並べるような
高級磁器を作るようになりました。
創業年が1888年ですから、新しい窯ということに
なりますが、名前がブランドになるほど
作品の完成度が高かったわけです。

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それにしても、このお皿のモダンなこと。
今から30年前に作られました、と言われても良いくらい
モダンですね。
こんな皿が明治(大正)に作られていたというのは
驚きです。

G4.jpg

さて、源六焼は名前そのものが嬉野の焼き物と一線を画して
ブランド化するほど有名になったわけですが、その特徴というのは
つかみにくいものです。

釉下彩などが特に有名ですが、その作品には
有田や平戸などの伝統的な高級磁器をもとに作られた
ものも多く、特に美術工芸品に関しては肥前磁器の伝統を受け継ぎつつ
さらに洗練させた印象を受けます。
このあたり、富永源六と宮川香山はどこか通じるところがありますね。
二人の経歴を見ると、その類似性にも納得です。
背後にある哲学というものは、Learn from the best といったところでしょうか。

日本のクラフツマンシップの王道とも言うべきものですね。

裏。
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桔梗。
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鳳凰。

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明治・大正頃のものでしょう。(九陶の銘款集より)

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ちなみに源六製のものをググってみると、国内で手に入るものは
圧倒的に染付が多いようです。
これは海外で購入していますが、輸出用だったので、
明治輸出ものの例にもれず、かなり気合の入った品質の良いものです。

一瞬、名花十友?と思わせますが、ご覧の通り
図柄はモダンそのものです。

さて、九陶から販売されている(注:九陶のまわしものではありませんよ!)
有田、鍋島、嬉野、志田などの焼き物を集めた「白き黄金」という本がありまして、
有田、鍋島の名品に関しては見飽きたものばかりですが、武雄や嬉野などの
やきものの紹介をしているという点では、非常に良い文献だと思います。

その中でも、嬉野の源六焼は一目見て「香蘭社?」と
思わせるものですが、先にコメントをしてくださった方のお話によりますと
深川と富永源六は親戚関係にあるのだそうです。

どの時代もそうですが、名品が生まれる背景を理解するには
婚姻関係やその地域へ移住した人口を分析するのが近道では
ないかと思います。

深川一門と源六の関係と両社の作品の類似性には納得です。
(^∇^)ノ 

G10.jpg

まぁ、香蘭社といえば、このデザインは今日の香蘭社のものにも
通じますね。

名門、香蘭社はそろそろオリジナリティにこだわった作品を
造ったほうが良いと思うのですが・・・余計なお世話か・・
|ω・`)

G11.jpg

実は、嬉野近辺にはもう一つ素晴らしい作品をつくる名窯がありまして、
こちらは含珠焼と言います。海外では平戸と誤認されていますが
実際は武雄(嬉野の隣)の樋口家の窯で作られた作品です。

先のコメントしてくださった方によりますと、この樋口治實も
富永源六とは友人で、親戚関係にあったそうで
早い話、明治の名窯はみななにかしら関係があったことが推察されます。

瀬戸の磁祖、加藤民吉が三川内の窯元と(婚姻)関係があったという
話がまことしやかに伝えられたり、異論が唱えられたりしていますが
こうして作品の類似性を鑑みると、そういった話がなかったとも
言い切れないと思うんですがね・・・

G12.jpg

最後に、嬉野の焼き物の歴史は古く、1600年以降朝鮮人陶工によって
始まった、とされていますが、本当にそれだけなのか正直疑問です。
茶の栽培が盛んな嬉野にいたのは本当に朝鮮人陶工だけだったのでしょうか。
明治を待たず、嬉野、武雄近辺では17世紀後半には
すでに有田と並ぶ磁器が作られていました。

なぜ嬉野や武雄から名窯が突如現れたのかは、
これらの地域が鍋島藩であったというだけでは説明できないように思えます。
このあたりのことは、いろんな仮説が立てられますが、まぁそのあたりのことは
もうちょっとリサーチしてからにしましょう(笑)

次回は、彦根藩のあの焼き物を紹介します。
ミュージアムピースです(笑)

すぐですっ....

(。-_-。)

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Category: 嬉野

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